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なぜ日本人は英語が苦手なのか? August 11, 2008

Posted by TAMAGAWABOAT in Blogroll.
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私がこれから書くことについて、半分の人は納得し、また半分の人は私に対して敵意を抱くだろう。(笑、かなり挑発的な文章なので、ご一読いただく前に予めおことわりしておきます)

言うまでもなく、ほとんどの日本人が中学・高校で6年間、さらに大学に進んだ人は教養課程で2年間、会社の語学研修や駅前留学等で数年間、英語を学んでいる・・・しかしながら、英語が話せない、書けない・・・。英語に対する苦手意識やコンプレックスは膨らむばかり。日本人のほとんどの人がそうだ。「大学の英文科です。英語学科です」という学生のどのくらいの割合の学生が英語を話せたり書けたりするのだろうか。「英語が自由に書けたり、話せたりできたらいいのに」とたくさんの日本人が思いながらも英語が話せない書けない。なぜ、こんな現象が起きているのだろうか・・・その決定的な答えをここで提示する。

よく日本人が「なぜ日本人は英語が苦手なのか」を語る際に、日本の英語の教科書が悪いだの、文法・読解力中心の授業が悪いだの、英語教師が悪いだの・・・自分の英語が苦手な理由を他人のせいにしたり、「日本社会がそもそも英語を必要としない、使用する機会が少ないからだ」と社会のせいにしたり・・・まずはそういう他者に責任を転嫁することをやめるべきだ。そうした理由を挙げる人は、英語を語る以前に「語学とは何か」いや「言葉とは何か」を考えたことの無い人である。教科書が悪けりゃ、書店に行って、気に入った参考書でも買ってくればよい。日本の英語の参考書は、世界のどの英語教科書よりも、英語構文の成り立ちを懇切丁寧に解説してくれている。学校の教師が悪けりゃ、駅前留学でもして「ネイティブ」の教師に教わればよい。ある「ネイティブ」の英会話教師が言っていた。「なぜ日本人は英会話教室にやってきて、自分から積極的に話そうとしないの?これじゃ、時間と金の無駄使いじゃないか。何のために彼らは英会話教室にやってきているのかわからない」・・・実は、その通りである。

私は思う。特に英語は、ヨーロッパ語圏の人たちが英語を習得するのに要する努力、その数倍の努力を日本人はしなければ、ヨーロッパ語圏の人たちと同じようなレベルに達することはできない。「言葉」は毎日のように書いたり話したりしなければ習得は難しい。「語学」と呼ぶ以前に「言葉」というのは、主体性や積極性がないと習得できないものだ。自分の手で書こう、自分の口で話そうとする強固な意思がないと習得は難しい。私は先に述べた「ネイティブ」の英会話教師に次のように言った。「英語以前に、日本語すら正しく話せない書けない者が英語を話すことができるだろうか」と。私は思う。日本の小学校の段階から英語教育を実施するのはやめたほうがよい。さらには中学校の英語教育もやめたほうがよい。英語は高校から自由選択にしたほうがよい。時間と労力の膨大な浪費である。本当に英語を習得したいと思う者だけに英語を教えればよい。真剣にそう思う。

世の中で一流とされる大学の文系学部。東大法科とか慶応経済とか・・・入試の英語の偏差値が70ぐらいあっても、そこの大学をご卒業された人たちのどれくらいが英語を書けて話せるのか?実は、そうした人を見つけるは難しい。いないんだ。おそらく「英語を勉強するために大学に入ったんじゃない!」と反論される方もおられるだろう。じゃあ、その東大法科ご卒業の方、法学士様に「法とは何か?政治とは何か?民主主義とは何か?国家とは何か?他人の文献を引かずに・・・ご自分が日頃考えていることを答えてみてください」と訊ねてみるがよい。それに答えることもできない東大卒がいっぱいだ。日本のエリートと呼ばれる人たちですら「自分の頭で考えてみよう」という姿勢がはなっから無い人が多い。誰かが言った言葉や本や新聞に書いてあった言葉をそのまま引用する人ばかり・・・ステレオ・タイプで物事を表層的にしか見ていない。日本の文系卒というのはこの程度のものだ。(結構、ムカつく文でしょ?)

そもそも言葉というのは、言葉を書く話す以前に、伝えたい「コト」や伝えるべき「コト」が無ければ話せない。その「コト」とは日頃、自分の頭の中で考えている「コト」。日本語でもペラペラと語っていることは、実は、日頃そう考えていたからこそペラペラと話せるのだ。ゆえに、日頃考えてもいないことを「英語で書け話せ」と言われても土台無理。書けるわけがない、話せるわけがない。そして、もっと重要なことは、その「コト」をどうしても英語で伝えてやろうという強固な意思や執着心が無ければ、書くことや話すことはできない。「英語がペラペラと話せたら、かっこいいなあ」なんて思って英会話教室に通っているうちは、英語が話せるようにはならない。ちょうど「綺麗なサッカーをやろう」と心がけてやっているうちは、ゴールが奪えないサッカー日本代表と同じである。どこまでも泥臭く、ストーカーのような強い執着心・・・それが日本人全体に欠落している。周囲に嫌われるぐらい自己主張の強い人ほど語学の上達が早い。

どうしても自分が考えていることを何が何でも英語で伝えてやろう・・・実は、そういった強固な意志と執着心がなければ、日本人が英語を習得するのは非常に難しい。当然ながら、私の英語も、いっぱい間違いがあることがわかっている。それが間違いだと自分で気づけば、次回はもっと伝わりやすい英語を書こうと努力すればよいだけのこと。英語は書けば書くほど上達する。誰も最初から英語がスラスラと書けるものでもないし、ペラペラとしゃべれるものでもない。その人の英語は、その人の習得段階に応じた英語しか書けない。それと同様に日本語もまた、その人の能力に応じた日本語の文章しか書けないのと同じである。

たいへん面白いことに、他人の英語の間違いを指摘したがる日本人は多いが、他人の日本語の間違いを指摘する人はごく稀である。その背景には、他人の英語の間違いを指摘することによって何らかの優越感を得ようとする日本人が多いからだろうと思う。それが理解できれば、堂々と自分なりに考えたことを、自分なりのレベルの英語で語ればよい。英語は使えば使うほど進化する。言葉とはそんなものだ。

TAMAGAWABOAT oyaji-beer1.gif
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