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日本人とは何か(1) February 12, 2009

Posted by TAMAGAWABOAT in Blogroll, History, Japan, Japanese, TIBET, TIBET UPRISING.
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isshintasuke「日本人って何だと思いますか?」と訊ねると、「そりゃあ、日本国籍を取得している人のことを言うんじゃないんですか?」などと訊き返してくる人によく出くわす。どうやら、大方の人はそう思っているらしい。それで「ほう、日本国籍があると日本人ですか?」と訊くと、「だってアメリカをご覧なさい。アメリカ人って、アメリカの市民権を持っているからアメリカ人なんですよね?だから日本国籍を取得した時点で誰だって日本人ですよ」といった答えが返ってくる。小さい頃から世の中のことを斜に構えてばかり、その癖が一向に抜けない私は次のように再び訊ねる。「それじゃあ、江戸っ子って言葉がありますよね?東京都に住民票がある人は皆、江戸っ子ですか?鹿児島に住んでりゃ薩摩隼人ですかい?」と。その瞬間、相手は眼が点になる。3代続いて江戸に住み、生まれてからずっと江戸っ子の大人たちに囲まれ、良くも悪くも江戸の伝統、風習や風俗、言葉をたっぷり吸った体だからこそ「江戸っ子」と呼ばれるんじゃなかったかと。「日本人」だってそうじゃないのかと思ったりする。日本人の両親と祖父母が居て、周囲の日本人に囲まれ育ち、日本の義務教育を9年間受け、日本人の言葉を憶え、日本の文化や風習、歴史を学び、満二十歳になって、成人式を迎える。それまでの二十歳未満の子供は準・日本人であって、まだ「日本人」ではないのだと。戦後の日本人は、どうやらアメリカ合衆国という国の価値観に知らず知らず、どっぷりと染まってしまったのかもしれない。

nicoleイギリスから日本にやってきたイギリス国籍のある人がこう言っていた。「俺がEnglishman(イギリス人)だって?とんでもない。俺はScottish(スコットランド人)だ。もちろん国籍はイギリス(語源はEnglish)だが、日本人がイギリス国籍の人間をなにかしら総称して呼びたいのなら、イギリス人(Englishman)という呼び方はやめてBritisher(ブリテン人)とでも呼んでくれ」と。どうやらスコットランド人は「Scottish」と呼ばれたいらしい。スコットランド人としてイングランド人(Englishman)と区別してもらいたいと望んでいる。元イギリス国籍で日本に帰化した人で、C.W.二コルという人がいる。同氏は1962年に来日し、95年に日本に帰化した。同氏は自らのことをイギリス系日本人と呼ばれることを嫌い、自らをウェールズ民族の血を引き継ぐ者として、「ケルト系日本人」と呼んでくれと言っている。多くの日本人は、学校で教わる英語教育で「イギリス人=Englishman」と習い、いわゆるイギリスには「イングランド人(Englishmen)」ばかりが住んでいると思っている傾向があるが、イギリスの正式名称はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国であり、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドという4つの民族からなる4つの国から構成されている。いわゆるイギリスという国には、イングランド人、スコットランド人、ウェールズ人、アイルランド人の4つの民族が住んでいるのだ。

さらにもう一件。ここにアメリカ出身のArudou Debito(有道出人、本名:David Aldwinckle)というガイジンがいる。この名前を挙げただけで、「ああ、コイツかぁ」と頷く人もいるだろう。日本の会員制ホステスクラブを嗅ぎまわっては「Japanese only」(外国人お断り)という看板を見つけ、それを「人種差別だ!」と騒ぎまくっているガイジン。このArudou Debito氏は、2000年に日本に帰化したらしい。しかもアメリカ市民権を放棄せずに。本人はその2年後、二重国籍をアメリカ大使館から警告を受けてアメリカ市民権を放棄したらしい。(笑)このガイジン、実は変なことを言っているのだ。自分のことを「米国系日本人」と呼んでいる。ん?米国系日本人?「米国系」って何だ?アメリカ人という民族でも存在していたのか?アメリカには白い人もいれば黒い人もいる。黄色い人もいれば、イスラム教徒だっている。Arudou Debito氏は、そうした「人種のルツボ」と呼ばれる国から日本にやってきたんでしょ?Arudou Debito氏は、悪い意味で(笑)、体中にアメリカの価値観が染み付いた人なんだろう。彼の言わんとするところの「元は米国市民だったが、日本に帰化した人」を「米国系日本人」などussrと言い切ってしまっている。思い返せば、今から18年ほど前まで、ソビエト連邦が91年に崩壊するまで「ソ連人」(Soviets)という呼び方が存在していた。ロシア人をはじめウクライナ人、ウズベキスタン人、カザフスタン人、シベリアに住むヤクート人・・・みんな「ソ連人」だった。国家の名称をもって、民族ではなく、ある国家に所属する人々の集団を指す言葉。今、考えたら奇妙な言葉だったと思えないか?謎の「ソ連人」・・・私は思わず吹いてしまう。それと同じで、「アメリカ人」という言葉がいかに奇妙かに気づくべきだ。Arudou Debito氏は人種のルツボであるアメリカという国から日本に帰化した。そして「米国系日本人」と自分のことを呼んでいる。もし彼が20年前にソ連から帰化したのであれば、「ソ連系日本人」だったのか?「ソ連系日本人」って言葉。もう怪しさがたっぷり漂う言葉じゃないか。ロシア人なら「ロシア系日本人」、ウズベキスタン人なら「ウズベク系日本人」でしょ?

余談だが、ひょっとしたら、アメリカ合衆国という国が数年後に3つぐらいに分裂するかもしれない。アラスカやテキサスがカリフォルニアがアメリカから独立するかもしれない。白い人も黒い人も黄色い人もみんな「カリフォルニア人」か?アフリカ系カリフォルニア人?アジア系カリフォルニア人などという言葉がまた作られるのか?(日本人とは何か(2)に続く)

やめたいけど、やめられない-パチンコ依存症
駅前のアヘン売人、パチンコ店を排除せよ。

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1. Anonymous - February 18, 2009

宇宙人が現れれば、日本系地球人

2. 日本国籍華人 - January 1, 2010

45人の日本人孤児が中国へ謝恩の旅

2009/11/10
45人の参加する「中国人民の養育の恩に感謝する日本人孤児訪中団」が9日、ハルビンで謝恩活動を行った。今回の旅は第二の命を与えてくれた中国の養父母を見舞い、中国人民の養育の恩に感謝することを目的にしている。日本人孤児が大規模な訪問団を組んで謝恩のため訪中するのは初めて。

1945年の敗戦後、日本人の孤児が中国に残されており、黒竜江省はその数が最も多い。統計によると、省内に2000人余りおり、中国人によって育てられたが、その大部分が1980、90年代に次々と帰国した。

「謝恩団」の団長を務める65歳の池田澄江さんは、徐明という中国名をもつ。1981年に黒竜江省牡丹江市から日本に帰った。

「私たちは戦争で肉親と離ればなれになった戦争孤児で、善良な中国人が死の淵から救い、第二の命を与えてくれた」「日本に帰って長く暮らしているが、片時も中国の肉親や友人を思わないことはなく、特に中国の養父母のことが懐かしかった。日本は私たちの祖国だが、中国は育ててくれた故郷だ。今回自費で中国に帰ったのは、この恩義に感謝するためだ」、池田さんはこう語った。

「謝恩団」の団員たちは、戦争で傷つき帰る家がない時、中国の家庭が私たちを引き取ってくれた、中国のお父さんお母さんは苦労して私たちを大きくしたのに、養子養女を失い、年取ってから別れる苦しみを忍んで、日本に帰るのを許してくれた、「この世で最も大きい、私心のない愛だ」と話していた。

「謝恩団」の中の日本人孤児の平均年齢は70歳近くで、養父母はさらに年をとり、健康状態のよくない人、すでに他界した人もいる。そのため謝恩活動中に、面会できる養父母、養子・女はそう多くない。謝恩の旅は、晩年に再び故郷を訪ね、養育の恩に感謝したいという日本人孤児の感情の発露といえる。

今回の活動の組織・調整にあたったハルビン市紅十字会日本中国残留孤児養父母聯誼会の石金楷秘書長は、これまでも謝恩のためハルビンを訪れる日本人孤児はいたが、すべて個々人によるもので、今回は規模が最も大きいと語っていた。

(ハルビン11月9日発新華社)

3. 日本国籍華人 - January 3, 2010

温家宝首相 日本人孤児謝恩訪中団と会見

2009/11/12
温家宝首相は11日、中南海紫光閣で、日本の中国侵略戦争の孤児池田澄江さんを団長とし、野田毅日中協会会長を名誉団長とする、中国人民の養育の恩に感謝する日本人孤児訪中団と会見した。

温首相は日本人孤児謝恩団に歓迎の意を表した後、次のように述べた。

▽中日両国は一衣帯水の隣邦で、両国人民の友好往来は二千年余り前に遡る。日本軍国主義が起こした中国侵略戦争は、中国人民を極めて大きな災難にあわせ、日本人民にも苦しみを与えた。この侵略戦争の責任はごく少数の日本軍国主義分子が負うべきで、日本人民も被害者である。戦争の痛手を受けた中国人民は戦後、恨みを日本人民に向けないだけでなく、大きな度量により、幾重もの困難を克服して、中国に残された日本人の子供2800人余りを引き取って育てた。代表団の中の多くの人はその体験者であり、中国で幼年、青年時代を過ごした。中日国交正常化後、中国政府は中日友好と人道主義から出発して、孤児の肉親捜しを強力に支援し、これまでに大多数の孤児が日本に帰って定住している。今回皆さんは再び故郷を訪ね、養父母や親しい友人と会い、感慨もひとしおだっただろう。そして再び中国の養父母の愛情を感じ、中国人民の日本人民に対する真摯な気持ちを感じただろう。

▽多くの孤児が日本に帰った後も中国の養父母の恩を忘れず、また中日友好事業に積極的に投じている。昨年汶川地震が起きると、日本人孤児は自分の生活も必ずしも裕福でないなかで、積極的に援助の手を差し伸べ、被災地に「日中友好希望小学校」を建て、中日友好に新たな内容を付け加えた。

▽われわれは孤児たちの帰国後の生活を気遣っているが、自分たちの努力および日本政府と社会各界の支援や援助によって、皆さんが必ず幸福で安定した生活を送れるものと信じている。

▽歴史が教えているように、中日両国は和すれば共に利を受け、戦えば共に傷つく。中日友好は両国人民の根本的利益に合致し、中日の友好協力関係を発展させることは両国にとり、アジアにとり、世界にとって重要な意義がある。双方はあくまでも歴史を鑑とし、未来に目を向け、中日の四つの政治文書の原則と精神に基づき、平和共存、互恵協力、共同の発展、子々孫々の友好によって、アジアおよび世界の平和、安定と繁栄にしかるべき貢献をすべきである。

日本人孤児謝恩団の団員たちは次々に発言し、次のように話していた。育ててくれた中国の父母の恩は山より高く、海より深い。いまは日本に住んでいるが、中国の肉親や故郷への思いは深い。今回、家に戻った感激は言葉では言い尽くせない。これからも日中友好事業に力を尽くし、両国人民の子々孫々の友好のために力を捧げたい。

会見の後、温首相は謝恩団の団員と記念撮影をするとともに、かつて周恩来首相が暮らし仕事をした中南海西花庁を一緒に見学した。

これらの活動には劉京・公安次官、張志軍外務次官、井頓泉中国人民対外友好協会副会長のほか、宮本雄二日本大使が参加した。

(北京11月11日発新華社)

4. Anonymous - February 15, 2010


恩着せがましいコピペはやめて下さい。ガス田泥棒のシナ人さん。

5. 日本国籍華人 - February 18, 2010

広大な大地に

長い龍のような

万里の長城と

世界でも有名な

長江と黄河の二つの河

5千年もの歴史を持つ

私はこの地で生まれ育った

「はじめに」    

 9年間の中国での生活、突然日本への来日。新たな夢への出発・・・。19年間、自分自身の二つの国で実体験を通し、私は今新たな成長の為に向かって、一歩踏み出そうとしている。今まで心の中でずっと考え続けてきたことを勇気を持って書いてみたい。
 ”何故今私は中国ではなく、日本で生きているのだろ?”と ふと思う時がある。祖母が日本人だからだろうか?日本に来たこと、日本で生活していることを後悔しているわけではないが、”私は日本に来たくて来たのではない” ”自分の意志とは無関係に日本に連れて来られた”ということになるだろうか。
「何で日本に来たん?」
と私たち家族が日本にきた理由を聞かれたことがある。実は自分でもよく分からなかった。でも、両親から日本に行くと聞いた時、9歳の私はいやではなかった。日本への期待と好奇心が大きくあったからだ。その時祖母が日本にいる理由やその背景となる歴史を理解していなかった。
 日本にきて8年半、中国で生活してきた歳月に近づきつつある。日本で生きてきた8年半は私の大きな自信となっている。
 母国である中国、育った日本。どちらも私にとって大切な国である。だからこそ、今回私は調べて見たい。祖母が中国の満州へ渡ることになる、やがて、自分が日本に来ることになるきっかけとなった満州事変、日中戦争のこと。そして残留孤児とはいったいどのような背景で生まれざるえなかったのかを。それはまさに自分と向き合うために・・・。
 もう一つ、二つの国の文化を背景に育った私だが、日本と中国の習慣や文化は長い歴史の中でたいへん変化してしまているが、漢字や箸を使うなど・・・よく似た所は今でもたくさんある。しかし、どういうわけか日本の「正月」だけは8年半たった今でも”何かが違う”という違和感を毎年感じている。と同時に、中国の「春節」がとても懐かしく思う。中国の春節は日本の正月にあたり、メインは晩からである。花火の光で包まれる中、提灯を持って友達の家を回ったりする。大人たちは料理作りに追われる。料理といえば、やはり「餃子」なしでは語れない。火薬を発見した中国は夜中の零時になると、外に出て、爆竹をならすのが春節の習慣になっている。そのあとに餃子を食べる。騒ぎながら、食べて、遊んで、寝るのは2時か3時くらいになる。そこで私は、自分の経験をもとに二つの文化の違いをいろいろ調べたが、一番みんなに伝えたいのはやっぱり「春節」だ。そういうわけで、中国の「春節」についても掘り下げていきたいと思っている。 「戦争」という悲しい歴史もあった過去をしっかり見つめつつ、現在の日本と中国のつながりについて、課題研究をきっかけに調べていきたいと心から思う。
     

6. NONAME - April 16, 2010

「**人」という言葉の定義の話でいうと、日本国籍を持っている人は日本人、というように国籍に併せていいと思いますよ。

あとは観念的なものでいいや、俺は北海道人だ、うみんちゅだ、アイリッシュ系日本人だ、と「自称」していいと思います。

UKの中で「俺をイングリッシュと呼ぶな。スコティッシュと呼べ」
というのは、もともとウェールズもスコットランドもアイルランドも「イギリス」とは別の「国」で敵対していた。
スコティッシュはイングリッシュ、イギリスを嫌いだった
だから統合されても自分はイングリッシュではない、
という民族意識からくるものですよね?

チベット人が「私は中国人ではない、チベット人だ」というのと同じですよね?

7. 日本人とは何か(2) « as subjectively as possible - April 21, 2010

[…] 日本人とは何か(1) « as subjectively as possible  |  April 21, 2010 at 5:35 […]

8. Anonymous - July 15, 2010

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi01.htm

↑このサイトを見て、日本人であることに誇りを持ってください。

9. ああ - April 29, 2011

日本辱华谣言背后的阴谋
作者:毛峰,从事新闻采访报道工作20余年,现任《亚洲周刊》东京支局支局长

日本地震及核灾以来,网上出现匿名污蔑华人趁火打劫的谣言,也有日本媒体企图製作在日华人抢劫、强姦的片子,高酬聘请的旅日作家李小牧发现后坚拒合作。

日本大地震及福岛核事故,是一场复合式巨大灾难,背后竟在中日两国间震盪出一些流言蜚语。值得关注的是,一些流言中的谣言居心叵测,试图叠加出更多的「次伤害」,甚至企图再版「歷史阴谋」。谣言的第一受害者就是真相,其次是国民感情。在中国互联网上,有个别网民对日本遭受巨灾幸灾乐祸,也有传言称日本强震是由於暗中进行「核试验」造成,编造天方夜谭式的内情。在日本的微博及推特等网络上,也同样出现了种种流言蜚语。「在仙台市三条中学避难所里,中国人為所欲為,赶走取暖炉前的高龄老人。这是来自我祖父的SOS(求救)」,「半夜,有说外国话的几个男子进入店中,黎明时发现店里的商品都被偷走了。我当时怕极了,只能躲起来」。更有居心叵测的传言称「在地震现场不断有朝鲜人和中国人在进行盗窃、放火和强姦」,「应该把所有在日中国人都赶回去,并禁止他们再度来日」。

如果说这些在互联网上匿名发布的留言属於阳谋的话,那日本一家电视台及一家週刊杂誌试图利用撰写《歌舞伎町案内人》的李小牧来「编导」在日华人在地震现场进行盗窃、放火、强姦的内情,则无疑暗藏著阴谋。

李小牧告诉亚洲週刊,在震灾后的四月初,日本一家全国性电视台以及一家週刊杂誌社希望藉李小牧在中日两国的知名度,安排其到震灾区的宫城县、岩手县等地进行「採访」,并支付其高额取材协作费。在临行「採访」前,这两家媒体拿出了「採访计划」,要求李小牧能从在日中国人的立场,亲身述说「在日中国人是如何趁灾害之际进行盗窃等犯罪活动的情况」。李小牧断然拒绝了这一精心策划的「採访」,结果李小牧自掏腰包,自找旅店,独自一人前往灾区进行了為期十天的独立採访,留下了一份难能可贵的独立採访笔记。

关东地震阴魂不散

歷史的惨痛同样拒绝遗忘。八十八年前日本关东大地震中藉谣言大肆屠杀在日朝鲜人及中国人的悲惨史实再度警示人们:「歷史阴谋」的阴魂不散。一九二三年九月一日正午,一场里氏七点九级大地震席捲关东地区,从东京到横滨,十万餘间房屋顷刻轰然倒塌,数以百计的熊熊火灾吞噬了数万民居,停泊在东京湾沿岸的八千多艘船隻沉没。关东大地震造成了九万多人死亡,四万多人失踪,十多万人负伤。為了转移政府执政危机,地震当天深夜,种种谣传开始瀰漫於关东地区:「朝鲜人暴动啦,到处在放火」,「朝鲜人在水井中投毒、在抢劫、强姦」。

阴谋谣言產生了近乎疯狂的杀伤力,最终导致有六千多名在日朝鲜人惨遭杀害,也有七百多名在日中国人因此遇害,其中百分之九十是温州人。在东京大岛町四丁目的华人聚居地,九月三日就有二百名华工惨遭杀害。当时在日本的中国工人领袖王希元也在此间被日本军警秘密杀害。这些成為关东大地震中的一个歷史惨案,令人深思。

10. 真実を語る - August 3, 2012

事実で怖いだすか?
阿修羅サイトの投稿が削除されましたが・・・
考えられません・・・
阿修羅サイトは真実に追究なサイトですか?・・・
疑問に思います。

中国実効支配が成立する可能性があるものとして
西太后から盛宣懐にあてた以下の詔論がある。

皇太后慈諭:太常寺正卿盛宣懐薬丸を進むる所、甚だ効験有り。奏に拠れば、原料薬材は台湾海外の釣魚台小島より採り、霊薬は海上に産し、功効は中土と殊にす、という。該卿家世薬局を設け、診を施し薬を給し、’貧病を救済するを知悉し、殊に嘉許に堪うるなり。即ち該釣魚台、黄尾喚、赤嶼三小島を、盛宣懐に賞給して産業にせしめ、採薬の用に供し、其皇太后及び皇上の仁徳に普被の至意を深体せよ。此れを欽めり。

盛宣懐が西太后のため、尖閣に赴いて薬草採取を持ち帰り、その見返りに製薬産業を興すべしとして尖閣を賜ったというものなのだ。

しかもその証拠物も拵えられた。今も所蔵するという、当時の西太后の詔書がそれだ。

盛宣懐来日100周年記念際、

盛宣懐一族と(明治)日本の政・官・財界の実力者との真摯な交流の記録―
「盛宣懐東遊日記」「見客簿」「東京友人来函」等の貴重資料を初公開。

 
      盛宣懐一族  
内容紹介:
  盛宣懐一族は、近代上海の豪族である。盛宣懐は一族の中心であり、洋務運動の重要な担い手、また近代中国資本主義商工業の開拓者でもあった。彼は実業により国を救い、国を富ませることに一生をささげた。公務員でもあり商人、中国気質でありながら洋風も取り入れた盛宣懐は、中国近代史の十一の最初の試みを実現した。(最初の銀行、最初の発電会社、最初の鉄鋼連合企業など)こうして中国の近代商工業の発展に貢献し、上海に幾つもの足跡を残した。

 盛宣懐とその子孫は、上海で生活し、かつて何か所もの超高級豪邸と莫大な財産を築いた。何度も致命的な災難にも遭ったにもかかわらず、三代で上海第一の富豪として確たる地位を築いた。一族の浮き沈み、その波乱万丈の歴史は、見るものに深い感慨を与えるものだった。

盛一族の歴史は、近代・現代中国また上海の歴史の縮図と言えるかもしれない。

本書は、記録文学の手法を採用し、虚構も不適切な批評もなく、不必要に詳細な記述に走ることもない。権威ある文献と口述資料に基づいた作者は、文学的なタッチで一族の史料と歴史的写真をまとめ、芸術的な手法で百年にわたるこの上海の一族の盛衰を語る。これは単なる一族の歴史というだけでなく、社会学に属する優れた作品である。

 作者の宋路霞は、長期的にわたって一族の近代の歴史を専門にしており、20以上もの近代から現代にかけての江南地方の有名な一族の取材、調査、研究を行い、貴重な歴史的資料を大量に残している。

盛宣懐一族は、筆者が長期にわたって関心を払ってきた一族であり、直接的資料や写真の収集と整理を行っている。これらの研究資料、またすでに出版されている盛一族の資料をもとに、六年前に「盛宣懐」を出版、これはこの分野での最初の試みとなった。

今回の「盛宣懐一族」は、家族史また近代史という角度から、この上海の大豪族に新たな解釈を加えるものとなっている。

作者は、一族内外の関係、社会的関係など斬新な視点から、盛宣懐自身とその一族の形成と変遷を捉えている。公務員かつ商人という背景を持つ西洋派富豪の百年にわたる波乱の歴史がかつてなかった手法でその知られざる側面を表すことになった。

11. 虎丸 - November 16, 2012

大阪府堺市中区土師町5-19ピンク色の家に住む
久田は、韓国人です。
当たり前だけど。

12. 虎丸 - November 16, 2012

大阪府堺市中区土師町5-19ピンク色の家に住む久田夫婦と左側の家の人が八棟の人が
盗聴、人権侵害をしました。

犯罪集団です。

アジアの皆さん日本人は、こんな日本人は
許せません。戦争するらしいよ。

13. 虎丸 - November 16, 2012

日本は、戦争するらしいよ。

国民が、中国、韓国、アジアを

日本人は、侵略戦争した事を

忘れたよ。

14. pen - March 14, 2015

こんにちは。19歳の学生です。

ブログの「日本人とは」について読ませていただきました。
その文章の中で「二十歳未満」という区切りがありましたが、
少々疑問に思います。
私はもう少しで20歳になります。数字が一つ変わったところで何が変わるのかまだはっきりと分かっていない節が私にはあります。選挙権やそのほかの権利が与えられるのは分かりますが、精神的な面での変化はあるのでしょうか?私にはさほど変化はないように思われます。

筆者さんは成人になると何が変わるとお思いですか?お願いいたします。


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