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シーシェパード制作の「ザ・コーヴ」に表現の自由を認めない June 9, 2010

Posted by TAMAGAWABOAT in Blogroll, Japan, Japan Bashing, Japanese, racism, whaling.
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2010年6月8日、映画「ザ・コーヴ」が市民団体の抗議を受けて一部の映画館で上映中止となったことについて、ジャーナリストや映画監督ら55人が8日までに反対の緊急アピールを発表し、配給会社や映画館に送付したというニュースが流れました。つきましては、以下は私からの彼ら(上映中止に反対する知識人たち)に対する反論です。

テロリストの作った映画に表現の自由を認めてはならない。-毎年冬になると、南氷洋において日本の調査捕鯨船団に対し繰り返し妨害を行う自称・環境保護団体シーシェパード。日本の捕鯨船に酪酸の入ったビンを投げ入れたり、危険なレーザー光線の照射、捕鯨船のスクリューにロープを巻きつけようとしたり日本船を沈没させようとするなど、シーシェパードの行為は嫌がらせのレベルをはるかに超えた国際海洋法に違反する犯罪であり許しがたいテロ行為です。映画「ザ・コーヴ」は、この悪名高いテロ集団・シーシェパードがプロデュースした反捕鯨を標榜するプロパガンダ映画です。監督であるルイ・シホヨスおよび映画に登場する元イルカ調教師のリチャード・オバリーの2人は、元シーシェパード・メンバーであり、この映画の本当の企画・制作者は、シーシェパード代表のポール・ワトソンなのです。しかしながら、日本ではその事実があまり知られていないようです。さらには、「ザ・コーヴ」をプロモートする配給会社含め評論家も、シーシェパードの関与については、なぜか堅く口を閉ざしたままです。

「ザ・コーヴ」はシーシェパードが作った危険なトロイの木馬です。-ぜひ、シーシェパードのウェッブサイトwww.seashepherd.orgを覗いてみてください。英語のページには、03年9月、シーシェパードが「イルカ・キャンペーン」と称し和歌山県太地町のイルカ漁の網を切断する事件を起こしたことが明記され、メンバー2人が警察に23日間拘留されたとあります。その際、同行していたのが、当時シーシェパードのメンバーだったリチャード・オバリーです。一方、ルイ・シホヨスは、05年に「海洋保全協会」(Oceanic Preservation Society, OPS)という団体を設立、映画「ザ・コーヴ」はこの団体の提供とのクレジットが付されていますが、この「海洋保全協会」のウェッブサイトのパートナーズにシーシェパードへのリンクがあります。さらに決定的なことには、映画「ザ・コーヴ」制作の基礎を築いたのはシーシェパード自身であり、リチャード・オバリーが太地町に出入りするためにシーシェパードを辞め、この映画の計画を暖めた後の07年にルイ・シホヨスが監督になったとシーシェパード自ら明記しています。時間は若干遡りますが、04年9月、シーシェパードは当サイトを通じ、太地町でのイルカ漁の映像とスチール写真について償金付きの公募を行っています。ビデオ映像1分につき500ドル、写真1枚につき250ドル支払うとありました。映画「ザ・コーヴ」がドキュメンタリーかプロパガンダかといったことを議論する以前に、この映画自体、シーシェパードが日本にしかけた精神テロであり、「表現の自由」を声高に叫ぶ者たちを巧みに利用し、彼らにその綱を引かせ日本人の精神構造の中へと密かに入城させようとする危険な「トロイの木馬」なのです。

「ザ・コーヴ」は日本人に対する人種ハラスメント映画です。-あなたのご自宅から最も近い食肉加工センターをご存知ですか?ご存知でなければ、一度、ネットで検索をしてみてください。食肉加工センター、いわゆる「屠殺場」の一番はじめの工程において、毎日どんな作業が行われているか、ぜひ見学してみてください。(しかしながら、他の工程は見学できても、この工程だけはなかなか見学させてもらえませんが) その一番はじめの工程では、後足を縛られ天井から逆さ吊りにされた牛たちが、前足をバタバタとさせながら工程ラインを次々に流れてゆきます。このラインの中ほどで、職人たちが大きなナタで牛の首を切り裂いています。ナタが振られた瞬間、牛は断末魔の悲痛な叫び声をあげます。急所を外された牛は激痛のあまりモガいています。そして、本当に「涙」を流すのです。そんな場面において、もし仮に、牛を映していたカメラが職人のほうへ向けられ、その顔が大きくアップで捉えられたとしたら・・・。そんな映像、いったい誰が許すのでしょうか(怒)。「表現の自由?知る権利の侵害?ふざけるな!」と思いっきり大声で怒鳴りつけたい気持ちになります。「表現の自由」とか「知る権利の侵害」とかにこじつけて、なんとかして「ザ・コーヴ」の国内での上映を実現させたいとする連中は、いったい誰のお陰で毎日、朝昼晩、飯を食べることができるのか、分かっちゃいないのです。屠殺場において生き物を締めて殺す仕事、この神聖な仕事があってこそ、人間社会は成り立ってきました。ですから、日本のみならず、世界どこの国においても、この領域は「アンタッチャブルな領域」と呼ばれてきたのです。そんな「わきまえ」もなく、昼飯にカツ丼を食ったその口から、ゲップ混じりに「表現の自由だ」「知る権利の侵害だ」といった発言がでてくる映画作家やジャーナリスト。なんて知恵遅れの連中かと驚きます。

「ザ・コーヴ」は、そうした「アンタッチャブルな領域」に密かにカメラを持ち込み隠し撮りを行い、そして世界に公開しました。「ザ・コーヴ」のクライマックス、イルカ漁で真っ赤に染まった入り江、銛を何度もイルカに突き刺すシーン、日本人の形相・・・。アメリカやオーストラリアの屠殺場で、牛の首をナタで切り裂く仕事をやっている人の顔をアップで映画に使えると思いますか?当然、使えませんよね。でも「ザ・コーヴ」では、イルカを銛で突く日本人漁師を撮影し、躊躇なく世界に公開している。それらの映像の中に、映画スタッフが故意に漁師たちを何度も挑発し、キレた漁師がカメラに向かって怒鳴っている表情をここぞとばかり撮影し、彼らを「マフィア」とまで呼んでいます。本当に卑怯な映画だとは思いませんか?本来ならば、そうしたシーンは「人権」に十分に配慮すべきところですが、この映画には何らその形跡が見えない。それどころか、より憎々しく見せようとする意図さえうかがえます。つまり、この映画は、世界に向かって日本人に対する不当な偏見や憎悪を撒き散らそうとするプロパガンダ、すなわち「反日プロパガンダ映画」なのです。

白人至上主義の白人らは、対象が同じ白人であれば、その相手の人権を尊重しますが、いざ相手が日本人となると、どうやら何をしても許されると思う傾向があるようです。シーシェパードが日本の捕鯨船に向かって投げつける酪酸の入ったガラス瓶。その瓶が粉々になった実物を、私は、今年5月27日、30日の2回、東京地裁の傍聴席で見ました。元シーシェパードのメンバー、ピーター・ベスーンの裁判にてです。検察側が ビニールに入った瓶の欠片を掲げると、法廷の中に強い「糞尿」の悪臭が漂いました。この極めて強い悪臭を持つ液体は、いったん服に付着すると、洗剤で何度洗っても取れないそうです。検察はベスーン被告に問いました。「このようなものを人に向かって投げつけてもよいと思いますか?」 ベスーンは答えました。「酪酸は人体に無害と聞いています」と。こうした白人は、日本人のことを「自分と同じ人間」だとは思ってはいないようです。きわめて悲しいことですが。

映画館は弱者ではありません。そうした印象操作が意図的に行われたのです。-私は独自に、「ザ・コーヴ」の上映を決めた映画館23館(6/21現在)のうち映画館8館(北海道・北陸・上信越・中国・四国・九州)の代表者の方に電話でインタビューを行いました。私が訊ねた質問は、(1)この映画を上映しようと決めた動機、(2)08年の映画「YASUKUNI」は上映したか否か、(3)この映画上映についての映画館への抗議の電話や街宣があったか無かったか、の3点でした。その結果、たいへん面白いことが分かりました。8館の映画館のすべてが、2年前の08年に映画「YASUKUNI」を上映しており、みな一同に口を揃えて「2年前のYASUKUNIは当たった」「たくさんのお客さんが入った」「興行的に大成功した」と回答され、そして今回の「ザ・コーヴ」の感想については、やはり8館ともに同じような回答で、それを要約すると、「映画の内容については不快。あまり良い映画だとは思わないが、実際に映画を観たいという客がいるのだから、上映する場を提供するのが映画館の社会的な責務だ」とお答えいただきました。さらに、「映画上映について抗議の電話や街宣の活動などありましたか?」と訊ねると、8館のうち、1館を除いて他すべてが「東京のほうは抗議で大変らしいが、幸いなことに、こちらのほうでは抗議の電話はほとんどない。むしろ、がんばって上映してくれとか、応援していますといった励ましの電話を複数いただいている」と回答されました。これらの回答を解釈するならば、映画「ザ・コーヴ」の上映は、映画館にとっての興行的な成功は予め担保されており、今回の映画も2年前の「YASUKUNI」の時と同じくらい「たくさんの客の入り」が期待できること、それが今回、映画館が「ザ・コーヴ」上映を決定した最大の理由であることが分かりました。つまり、上映を決定した映画館の実態は、「表現の自由を守る」という崇高な理想を掲げて立ち上がった映画館でもなく、右翼の圧力に晒されながらもじっと耐え忍んでいる弱者としての映画館でもない、また、「ザ・コーヴ」という映画に惚れ込んだわけでもないことが分かりました。ただただ金勘定、映画「YASUKUNI 」に次ぐ2匹目のドジョウを映画館は狙っているに過ぎません。しかし実際には、マスメディアを通じて、「右翼の圧力によって、泣く泣く上映中止に追い込まれている弱者としての映画館」といったイメージが急速に形成されていったのです。

本当に守られるべきは、「表現の自由」ではありません。-映画館は、「ザ・コーヴ」が上映できなければ経営に行き詰るというわけでは全くありません。映画館には「ザ・コーヴ」以外にもいろんな上映できる素材を選択することができるからです。映画館は、市民グループから「上映を中止しろ」と抗議を受けても「廃業しろ」とは要求されてはいません。しかし、「ザ・コーヴ」は、和歌山県太地町の人々に「イルカ漁をやめろ!」と訴え、「みんなでこの残酷なイルカ漁を止めさせよう」と観客の感情に訴えています。シーシェパードが企画・制作したこの映画は、太地町の漁師たちの人権を著しく侵害するだけなく、生活を維持するための生業(なりわい)そのものを奪おうとしています。太地町の人々の「生存権」が脅かされているのです。江戸時代初期までその歴史を遡ることのできる古式捕鯨発祥の地・和歌山県太地町。この町の人口は、捕鯨が盛んだった80年代初めには5千人近くいましたが、80年代後半に商業捕鯨が禁止されると、人口も徐々に減ってゆき、09年現在で3千2百人ほどになってしまいました。いまや捕獲数量が厳しく制限された枠の中で、ゴンドウクジラなどの小型の沿岸捕鯨とイルカの追い込み漁だけが行われているのです。その残された太地町のイルカ漁も、ここ数年来、シーシェパードをはじめとする環境保護団体に、毎年、執拗に妨害されてきました。09年に制作されたドキュメンタリー「太陽の町、黒潮と鯨と」(原題:Town of Sun, the Black Tide and Whales 米09年制作)というわずか17分の短い映画があります。この映画はYouTubeなどの動画サイトでご覧になれますので、ぜひ興味のある方は検索してみてください。(ご希望の方は英語タイトルにリンクされていますのでをクリックしてください)映画では、太地町の人がひとりずつ「太地町と鯨」についてのインタビューに静かに答えており、短いながらもよくまとまった作品です。その中で、太地町教育委員会の北洋司氏は次のように語っています。「太地町には、(イルカ漁の)シーズンになると、幾つかのグループがやって来て(漁師に対して)挑発行為をします。しかし、漁師は彼らの挑発に乗ってしまったら、もうお仕舞なのです。どんなに腹が立とうが絶対に挑発には乗るな、と我々は漁師に話しています。しかし人間だからどうしたってキレる時もでてきます。そんな時は、公権力である警察とか海上保安庁によって、傍若無人な行為をやっている人達を抑えてもらうしかないのです。常に『太地の人間からは絶対に手を出すな』と言っていますが、若い人たちには、無性に我慢できない時が当然ながらでてきます。だから、精神的な高揚を持続していくしかないのです。彼等(シーシェパード)はそれをよく分かっているからこそ、余計にそこへ手を突っ込もうとするんです。精神文化どうしのぶつかり合いならまだ何かしら方法があります。しかし、彼らには理解しようという意識はさらさら無いのです。そして、彼らにとって、それ(イルカ漁への妨害)がすでにビジネスになってしまっています。これは、彼らのビジネスと我々の歴史文化および精神文化との戦いなのです」と。03年9月に、シーシェパードは「イルカ・キャンペーン」と称してリチャード・オバリーほか数名のメンバーを太地町に送り、イルカを囲い込んでいる網を切断、メンバー2名が警察に逮捕される事件を起こしました。以来、毎年秋になると、彼らは映画の撮影スタッフと一緒に太地町にやってきて、漁師たちに挑発行為と嫌がらせを繰り返してきたのです。そのシーシェパードによる太地町の人々に対する嫌がらせの記録、それが映画「ザ・コーヴ」なのです。「ザ・コーヴ」上映をめぐる問題において、本当に守られるべきもの、それは「表現の自由」や「映画館の売上げや興行的成功」ではありません。本当に守られるべきは、南紀にある人口3千2百人の小さな漁村、太地町の人々の「ささやかな暮らし」なのです。

とことん騙してやろうという映画、それが「ザ・コーヴ」です。-いずれの映画においても、世間の注目度をいかにして高めるか、プロモーターはさまざまな仕掛けや策略をめぐらします。市民グループの上映中止を求める街宣活動を見たプロモーターは、この「ザ・コーヴ」においても2年前の映画「YASUKUNI」と似たような状況が作れると判断しました。プロモーターは、この市民グループが掲げる日の丸と拡声器でがなり立てる光景が、多くの人々の心の中にある「街宣右翼」に対するアレルギーを刺激し、彼らの主張とは逆の方向へ誘導できるはずだと確信したのです。そして、上映中止に追い込まれていく映画館を「弱者」に仕立て上げ、「右翼の圧力に苦しむ映画館」を応援していこうというキャンペーンを行いました。「表現の自由」という錦の御旗を掲げ、マスメディアを総動員し、日弁連、日本ペンクラブが続きました。再び2年前の「YASUKUNI」の再現です。しかし、この作戦は短期的にしか通用しません。おそらく1~2ヶ月後、踊らされた人々、動員された各連合会、マスメディアも含めて「好い面の皮だったよ」と自嘲すると思います。というのは、プロモーターが隠してきた「ある重要な情報」がすでに広まりつつあるからです。それが「ザ・コーヴはシーシェパードの企画制作によるプロパガンダ」です。プロモーターは言います。「映画を観てから堂々と議論しょう」と。きちんとした議論を行うためは、まずは必要不可欠かつ正確なバックグラウンドをきちんと伝えるのが、「議論をしよう」と呼びかける者の本来の姿勢ではないでしょうか。しかしながら、どこまでもこの情報を隠そうとするのです。撮影の手法が「騙し」なら、プロモートの手法も「騙し」です。何から何まで卑怯・卑劣、それが映画「ザ・コーヴ」の本質なのです。                  

なお、シーシェパードと映画「ザ・コーヴ」についての密接な関係を調査していただいたMr.Hさんと彼のお友達に深く感謝します。
Mr.Hさんお友達ブログ(在米) http://redfox2667.blog111.fc2.com/blog-entry-227.html

※上記内容を両面印刷のチラシとしてご利用いただければと思い、pdfファイルを用意しました。A4×4ページまたはA3×2ページ(A3の両面印刷で1枚のチラシが完成します)でご利用いただけます。大至急、拡散にご協力いただければ幸甚です。sea_shepherds_cove_0703revised (PDFファイル985KB)

追記 -2010年6月12日

6月9日(木)に創出版(代表・篠田博之氏)主催の映画「ザ・コーヴ」上映とシンポジウム(中野ゼロホール)に行ってきた。私が中野ゼロホールに到着したのが18時5分ほど前。開場は18時20分からにもかかわらず、すでに開場を待つ人たちの列が3つほどできており、しかも誘導の人がいないため、どこが最後尾かわからない状況だった。しかしながら、皆静かに列に並ぶ姿に、私は「ある種の秩序」を感じ、このシンポジウムにやってきた人たちのレベルの高さを感じた。この人たちだったら、理解していただけるだろう・・・私が持参したチラシの内容を、と思った。

早速、私は、開場を待つ人々の列にチラシを配り始めた。予め350枚用意したチラシは開場までの約20分間で、その配布をすべて終え、それでも足りなかったのでコンビにで30枚ほどコピーをした。主催者側によると、前売り券を持ってた方550人、キャンセル待ち約100人、合計650人だったので、約6割近くの人が、私が用意したチラシを受け取ってもらったことになる。皆さん、開場待ちで手持ち無沙汰ということもあってか、チラシをじっと読む方も多く、私のチラシに対する反論としての意思表示をされた方も3名(男性2名、女性1名)いた。開場後は、コンビ二でコピーしたチラシをメディアとシンポジウムのパネラーの方々を中心に配った。

私が会場の階段付近で、会場に走りこんでくるメディアの方々にチラシを配っているとこへ当シンポジウムの主催者・篠田博之氏がやってきてきて「あなたは主権回復の会員なのですか?」と訊ねてきた。「いいえ、会主催の街宣にはときどきは参加はしますが会員ではありません。そもそもあの会の会員が誰だか存じてませんが」と答えると、「チラシを配るのであれば、主催者側の了解をとるべきではないかと思うけど」と言うので、私はわざとポー(はあ?という感じ)ととぼけたフリをしていると、「まあ、それはあなたの表現の自由だから何も言えないけど、それにしても、このチラシの中の<表現の自由を認めてはならない>というのはやめてもらえないかなあ」と篠田氏。私は「シーシェパードというテロリスト集団が作ったプロパガンダ映画に表現の自由を認めてはならないと主張しているんですよ。ここ10年間のスローガンは<テロに屈しちゃいけない>でしょ?」、すると篠田氏は「シーシェパードが関与している話については、大体の事は知っているけど」と返したので、「ご存知であれば、この映画を紹介する際に、この映画とシーシェパードとの関係をきちんとインフォームするのがジャーナリストの責任じゃないのですか?それを晒したうえで、皆でこの映画について討論する。それでこそシンポジウムでは?」というと、シーシェパードの話題はあまりしたくないらしく、そそくさに去った。つまり、篠田氏はこの映画の急所を知っていながら、それを隠しているに過ぎないのである。彼は最初からジャーナリストとしての立場を放棄している。篠田氏はジャーナリストでもなんでもない、ただの映画「ザ・コーヴ」のプロモーター(販売促進係)として見ていたほうがよい。

その後すぐに、私の前に森達也氏がやってきた。「このチラシの、シーシェパードって本当なの?」と私に訊ねてきた。(何度かこの映画について発言してきた森氏が知らなかったというのがちょっと驚きだった)「本当ですよ。シーシェパード自身のホームページにそう書いてあります」と答えると、すると「ふーん、でもシーシェパードって、人種差別を目的にやっているわけじゃないでしょ。だってノルウェーの捕鯨船もシーシェパードに沈没させられてんだし・・・」と言った。私は『いったいシーシェパードの何時の時代の話をしているんだろう?シーシェパードがスペインやアイスランド、ノルウェーの船を標的にしていたのは80年代~90年代。この人はそのことを理解したうえで話をしているのだろうか?ひょっとして、かなりオメデタイ人じゃないだろうか』と思って、「ああ、そうですか」と笑いながら答えた。組織というのは「金」になるほうに転がっていく。シーシェパードのアニマル・プラネット(ケーブルテレビ)の「Whale Wars」は2008年11月に始まった。以来、アニマル・プラネットの目玉番組となった。その背景には「シーシェパードが戦っている相手は肌の色の違う東洋人」ってことがどこまでわかっているのだろうか?さらには、シーシェパードは、和歌山県太地町と姉妹都市関係にあるオーストラリア北西部のブルーム(Bloom)という人口1万5千人もの小さな町で、「ザ・コーヴ」の上映会を行い、日本人や太地町に憎悪を抱いたブルーム市民によって、日本人墓地(ブルームは明治期から真珠の町として、太地町出身の多くの日本人が潜水夫として移住してきた)において900基あった墓石のうち約200基がいたずらを受けたほか、町の議会において、太地町との姉妹都市提携・解消決議案も出された。つまり、シーシェパードが制作した「ザ・コーヴ」という映画は、シーシェパードの意図したとおり、日本人への不当な偏見や憎悪を煽ることに十分な効果を発揮していることを示しているのだ。もう一度ここで繰り返し言う。「ザ・コーヴ」は反日プロパガンダと断言して何ら問題ない。

そして最後に、鈴木邦男氏。この人とはシンポジウム終了後に一言だけ、私のほうから投げかけた。私はシンポジウム終了後のメディア関係がごった返えす舞台にあがって、鈴木氏に声をかけた。「鈴木さん! 鈴木さんは(映画を)一度見てから判断してくださいと言われましたが、その論理、もし仮に、私が新興宗教かマルチ商法の人間で『この宗教を非難する前に、一度でいいから集会か座談会に来てください』と言ったらどうします?来ていただけますか?宗教やマルチ商法に洗脳のメカニズムがあるように、プロパガンダにも洗脳のメカニズムがあるんですよ」と言うと、鈴木氏はムキになって「いや、違うね!」と一言だけ吐き捨てるように言った後、控えのほうへ急いで去っていった。この鈴木邦男という人、ある種の腐臭が漂う。

追記 -2010年6月14日

表現の自由とは何か?-「ザ・コーヴ」の上映を求める人たちが「表現の自由を守れ」という言葉を使っているが、私は彼らがこの言葉を使うたびに「プッ、なんとも薄っぺらな、安っぽい表現の自由だな」と思う。たった20人か30人ほどの草の根の市民団体、交通費も食事代も自前の完全ボランティア。その人たちが街角で「ザ・コーヴの上映中止を求める」街宣を行ったり、映画館に電話をかけ「上映を中止しろ!」と抗議を行った結果、映画館が彼らの圧力に屈して上映中止の決定を行った(?)。本当にお笑い草だ。な、なんだ、この表現の自由の軽さは、このチープさは!これが本当だとしたら、表現の自由を高く掲げてるわりには、あまりのへタレさに驚く。こうした連中は、北京の天安門広場でチベット国旗を手に持って「FREE TIBET!」と叫びながら50メートルをぜひ駆け抜けてきてほしい。その瞬間、きっと「表現の自由の尊さ」を感じることができることだろう。

「表現の自由」を弾圧するのは、公的な権力や巨大な権力・組織であり、20人か30人ほどの草の根の市民グループの抗議ではない。本当に「表現の自由」を弾圧するのは国家であり、そして都合の悪い「表現の自由」を圧殺するのがマスメディアである。そして、「表現の自由」を保障するのも、また公的な権力であり、草の根の市民グループにも当然ながら「表現の自由」が保障されているのだ。その吹けば飛ぶような市民グループに対し「右翼」「圧力団体」「無法者集団」などといった不当なレッテルを貼り、故意に彼らの姿を歪め、彼らの主張するところの「ザ・コーヴは、テロ集団・シーシェパードによってプロデュースされた反日プロパガンダ」という主張は、マスメディアにとって都合の悪い主張として必死に黙殺し、ただただ「表現の自由を妨害する分からずやの無法者たち」として描こうとする。実は、巨大権力・マスメディアこそが、現代日本における「表現の自由の真の敵」なのだ。

私は上映を中止した映画館に問いたい。いまの映画館には上映作品に対しての自らの信念はないのか?「どうしてもこの作品は素晴らしい。だからひとりでも多くの人たちにぜひこの映画を観ていただきたい」といった願望はないのか?いまの映画館は「小売り」としての作品に対する目利き・品定めの、いわゆる「プロの眼力」はないのか?私は正直に思う。抗議の電話を受けた映画館が、もう一度この映画よく観た結果、「ああ、やっぱりこの映画じゃあ、駄目だな。さっさと上映は中止にするか」と、映画館が自主的に判断したに過ぎないのだと。この映画、「プロの眼力」からすれば「およびでない」のだ。おそらく、この映画を高く評価しているのは森達也氏ぐらいだと思う(たぶんお金に困っているんだろう)。森達也氏の審美眼は、彼の作品を観れば一目瞭然、これまた「およびでない」のだ(笑)。

追記 -2010年6月17日

「イルカは頭がよい」というステレオタイプ-捕鯨論争には、たくさんの嘘やプロパガンダが充満している。世界中の人たち、そして多くの日本人たちがその嘘やプロパガンダによって、日本の捕鯨やイルカ漁、鯨やイルカの生態について間違った偽りの情報を刷り込まれ、事実とは違うステレオ・タイプを持っている。たとえば、多くの人々が信じていることに「鯨やイルカは非常に高い知能を持っている」というのがある。多くの人々は疑いもなく、このことをガチガチに信じ込んでしまっている。

本当にイルカってそんなに頭がよいのだろうか?ぜひ想像してみてほしい。もし本当に、イルカが知能の高い動物であれば、毎年秋になると、殺されると分かっている和歌山県太地町の海に戻ってくるわけがないだろうと考えるのは私だけだろうか?なるほど、よくよく考えてみれば、イルカというのは「よほど学習能力がない」動物だと気づく。(あまり他人の学習能力を非難することのできない私だが・・・)

私たちは、シーワールドでイルカの芸を観ることができるが、あれは調教師から芸を仕込まれたからであって、最初からシーワールドのイルカのように人間の命令どおりに芸ができる野生のイルカはいない。アシカやアザラシに調教師が芸を仕込むのと同様に野生のイルカも芸を仕込まなければ、シーワールドで客を喜ばすイルカにはならない。そうした、ごく当たり前に考えれば、自分が信じ込んでいたことが「真っ赤な嘘」であったことに気づくはずだ。それに気づけば、「イルカは知能が高い、賢い哺乳類だ。だからこそ、そんな哺乳類を殺してよいのか!」などといった憤りや凄惨なイメージにいままで繋がっていたことがわかってくる。「殺しちゃいけない」の前提となるところの「知能が高い」ことが条件からぬけ落ちてしまうと・・・イルカ漁に対する憤りや凄惨なイメージ、太地町の血に染まった海の光景もまた違ったものに思えてくる。つまり、あなたが「イルカはそれほど知能が高くない」と気づいた瞬間、あなたのイルカ漁に対する視点が変わるのである。

追記 -2010年6月23日

問うに落ちず語るに落ちる- 6/21に行われた映画『ザ・コーヴ』上映中止に関するシンポジウム(東京・霞が関の弁護士会館)。翌6/22にその模様について書いたマイコミジャーナルの記事によると、ジャーナリストの田原総一朗氏、映画監督の崔洋一氏、月刊『創』編集長の篠田博之氏らがパネラーとして意見を述べる中、質疑応答では、反捕鯨団体の「シー・シェパード」との関わりを隠している出演者・製作者がいることを報道陣から指摘される場面も。担当者から「シー・シェパードとの関連については、基本的にリック・オバリーさんもルイ・シホヨス監督も『ない』と断言しています」と説明があった・・・とある。

さてさて、昨日の産経新聞(6/22)の記事で、もうご存知の方も多いだろうが、”「ザ・コーヴ」第2弾、今秋に放映 シー・シェパードの番組制作の米放送局で”とあり、記事から引用すると、リチャード(リック)・オバリー自身が、「ザ・コーヴ」第2弾となる連続テレビシリーズの放映が今秋から始まることを明らかにしたことを伝えている。さらに、その放送局および番組枠について、米団体「シー・シェパード」の調査捕鯨妨害を一方的な編集で制作したドキュメンタリー番組「クジラ戦争」を流している米有料チャンネル「アニマルプラネット」。クジラ戦争は3年前からシリーズ化しており、今冬の調査捕鯨妨害事件で公判中のピーター・ベスーン被告(45)が主役級で登場するシーズン3(全12回)が今月から放映されている。さらに、アニマルプラネットによれば、番組名は「ドルフィン・ウォーリヤーズ」(イルカを守る闘士たち)で、「ザ・コーヴ」のように、オバリーさんのイルカ解放活動をドキュメンタリータッチに取り上げる・・・とある。実は、クジラ戦争”Whale Wars”そのものが日本では放送されていないが、この米ケーブルテレビのアニマルプラネットの目玉番組が、シーシェパードの大活躍を追ったクジラ戦争”Whale Wars”であり、さらに、シーシェパードは、リチャード・オバリーの登場する新番組「”Dolpin Warriors” ドルフィン・ウォーリヤーズ」を追加投入するのだ。クジラとイルカを惨殺する未開の野蛮人。彼らの薄汚れた手から愛すべき人間の友達であるクジラとイルカを守るため命をかけて闘う十字軍。南氷洋の戦線から敵地・日本へと果敢にのり込んでいった2人の勇者。ひとりの名はリチャード・オバリー、そしてもうひとりがピーター・ベスーンだ。

映画『ザ・コーヴ』上映中止に関するシンポジウムにおいて、アンプラグド(日本での配給会社)およびパネラーの連中は、「シーシェパードについての話題は当映画にとっては最大のネガティブポイントであるため、シーシェパードとの関連性はいっさい黙殺または否定すること」としたプロモート・マニュアルを遵守しようとして、シーシェパードとザ・コーヴの関係を問うメディアに対し、配給者側がその一切の関係を必死に否定してきた。にもかかわらず、当のザ・コーヴの主人公でイルカ並みの知能を誇るリチャード・オバリーは映画の宣伝としてプラスに働くと思い、「シーシェパードが番組提供やっているアニマルプラネットで、今年の秋からオイラの大活躍が放映されるんだぜ」とおおっぴらに語ってしまった。まさに、このマイコミジャーナルと産経新聞の2つの記事、「問うに落ちず語るに落ちる」という言葉の意味をよく表わした事例である(笑)。

追記 -2010年7月1日

映画館は弱者ではまったくない-私は、独自に「ザ・コーヴ」の上映を決めた映画館8館(北海道~九州の地方都市にある映画館中心)の代表者に電話で調査を行った。質問内容は、(1)この映画を上映しようと決めた動機、(2)08年の映画「YASUKUNI」は上映したか否か、(3)この映画上映についての映画館への抗議の電話や街宣があったか無かったかの大きく3点。その結果、たいへん面白いことが分かった。それは、電話をかけた8館の映画館のすべてが08年に「YASUKUNI」を上映しており、みな口を揃えて「2年前のYASUKUNIは興行的には大成功した」と答えたこと。そして今回の「ザ・コーヴ」については「内容については不快だが、実際に映画を観たい客がいるのだから、上映する場を提供するのが映画館の存在意義だ」とこれまた一様に答えた。「観たい客がいる」という回答を解釈するならば、つまり、今回の「ザ・コーヴ」も「YASUKUNI」の時と同様に「興行的な成功」が予め保障されている、「この映画は客が集まるだろう」と手ごたえを感じているという意味にとれる。また、それを裏付けるかのように、「抗議の電話などありましたか?」と訊ねると1館を除いて7館すべてが「抗議の電話はないが、がんばって上映してくださいとか、ぜひ映画を観たいという励ましの電話をいただいた」と答えた。映画館って、決して「社会的正義」で上映素材を決めているわけじゃない。今回の調査では、「ザ・コーヴが素晴らしい映画だから」という理由で上映している映画館なんて皆無だった。要は儲かるか儲からないか、興行として成功するか否か、金勘定で上映するかしないかを決定しているに過ぎない。それと同時に、特に「ザ・コーヴ」を上映できなければ映画館の経営に行き詰るということもない。他にも上映素材はたくさんある。映画館は「YASUKUNI」に次ぐ2匹目のドジョウを狙っているに過ぎないということが分かってきた。そして「ザ・コーヴ」をプロモートするために、極右の圧力によって映画館が上映中止に追い込まれているかのような、「可哀想な映画館の支配人」といった印象操作がマスメディアを通じて行われてきたことが明白になったのだ。

映画「ザ・コーヴ」をめぐる問題における真の弱者、それは、人口3千2百人ほどの小さな漁村・和歌山県太地町の人々だ。映画館は市民団体から「上映を中止しろ」とは言われても「閉館しろ」とは要求されていない。しかし、いまの太地町の漁民たちは「毎年秋から冬にかけてのイルカ漁をやめろ」と要求されているのだ。80年代までずっと町の多くの人々が関わっていた捕鯨、それもすでに国際政治に蹂躙されたうえに厳しく制限されてしまった。シーシェパード制作の「ザ・コーヴ」は、太地町の漁師たちの人権を著しく侵しただけじゃない。彼らがいまの生活を維持していくためにずっと行ってきた生業(なりわい)そのものを奪おうとしている。つまり、この映画は太地町の人々の「生存権」を脅かしているのだ。守られるべきは、太地町の人々の暮らしであり、映画館の興行的成功ではない。国際テロリスト・シーシェパードからお金を貰って「ザ・コーヴ」のプロモートを請け負っている自称ジャーナリスト・篠田博之氏は、真の弱者である太地町の人々の暮らしを無視し、映画館を「弱者」として仕立て上げ、「表現の自由」と「知る権利」いう美名を「目眩し(めくらまし)」に用いて、大衆を騙している。篠田氏は、「ザ・コーヴ」はシーシェパードが企画から制作まで行った映画であることを十分に分かっていながらも、それを知らせず、「映画を観てから堂々と議論をしよう」などと言う。そうした議論を行うためは、まず第一に、映画についての正確なバックグラウンドとしての情報をきちんと伝えるのが「議論をしよう」と呼びかける者の本来の姿勢ではあるまいか。しかも、この映画が、国際刑事警察機構(ICPO)から指名手配を受けているポール・ワトソンが代表を勤めるシーシェパードによって企画・制作されたという事実はきわめて重要な情報ではないのか。篠田氏による抜擢によって初期段階の「ザ・コーヴ」のプロモートを牽引してきた森達也氏にすら「ザ・コーヴとシーシェパードの関係」を故意に隠してきたことは明らかだ。だからこそ、6月9日の時点で、私が作ったチラシ「ザ・コーヴはテロ集団シーシェパードによるプロパガンダ」を読んだ森達也氏が私に「これ本当なの?」と訊ねてきたのだ。この時はじめて、森達也氏は「ザ・コーヴ」という映画を上映することが「公序良俗に反すること」に気づいたのだと思う。

社会正義に燃え、巨大な権力に立ち向かっていこうとする精神が本来のジャーナリストの魂ではなかったのか。しかしながら篠田博之氏は、国際テロリストから金を貰い、日本のマスメディアを駆使することによって国民を煙に巻き、人種ハラスメントを目的とするプロパガンダ映画をプロモートしてきた。撮影の手法が「騙し」なら、プロモートの手法も「騙し」なのだ。何から何まで卑劣。それが映画「ザ・コーヴ」の本質である。太地町という小さな漁村に住む人々のささかな暮らしを破壊しようとする映画「ザ・コーヴ」。この映画の上映中止を私は今まで以上に声高に訴えていきたい。少しでも多くの人々が「ザ・コーヴ上映中止」に賛同していただけることを切に願う。そして今年の秋には、和歌山県太地町を訪ねイルカ料理でも食ってみようじゃないか。

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映画「ザ・コーヴ」の上映はすべて中止すべきだ
卑劣なプロパガンダ映画「ザ・コーヴ」
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映画「ザ・コーヴ」の上映はすべて中止すべきだ June 4, 2010

Posted by TAMAGAWABOAT in Blogroll, Frank Capra, Japan, Japan Bashing, racism, whaling.
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テロの手法には大きく2通りある-反捕鯨を口実とした反日プロパガンダ映画「ザ・コーヴ」の日本国内での劇場公開が、ある劇場では6月下旬ごろからと決まったらしい。ある人々は言う。「ある特定団体(右翼)が配給会社や劇場に対して圧力かけて『ザ・コーヴ』を上映中止に追い込んでいる。08年の映画・靖国YASUKUNIの再現だ。今ふたたび表現の自由が危機に晒されている。表現の自由を守ろう!」と。さらには「映画を観ずして批判するな!批判は映画を観てからにしろ!」と常套文句を用いた映画宣伝へと誘導しようとする連中がいる。私はこうした論調に対し、ぜひとも日本人自身の力で、映画「ザ・コーヴ」の上映を断固阻止すべきだと、信念を持ってそう思っている。なぜならば、この「ザ・コーヴ」の実態をよくよくみれば、南氷洋において日本の調査捕鯨船に対し繰り返し危険なテロ攻撃を行ってきたシー・シェパードがスポンサーとなっている映画であるということ(そのように公表されていなくてもそうなのだ)に気づくはずだ。そして、予め頭の中に抑えておかなければならないことは、テロの手法には、物理的なテロと精神的なテロの2通りあるということ。精神的なテロとは、メディアを通じた情報操作や映像を通じて、テロの目的を遂行しようとすること。この映画「ザ・コーヴ」は、まさに精神テロの使命を帯びたシー・シェパードのプロパガンダ映画なのだ。ゆえに、「テロに屈しない!」という文言通り、この映画を日本で絶対に上映させてはならないのである。それでもなお、「映画を観ずして批判するな。表現の自由に対する弾圧だ」などと言い続けている連中は、私からみれば、日本国内へ危険な「トロイの木馬」を引き入れようとする工作員である。

敵のプロパガンダを封じ込める-映画「ザ・コーヴ」をドキュメンタリーなどと絶対に呼ばないでいただきたい。もし、そう呼ぶならば、1944年のフランク・キャプラ作品の「ザ・バトル・オブ・チャイナ(The Battle of China)」までもがドキュメンタリーとなってしまう。プロパガンダには、はっきりと「プロパガンダ」という呼称を用いるべきだ。それでも「ザ・コーヴ」をドキュメンタリーと呼ぼうとする人間は、ドキュメンタリーとプロパガンダの違いを考えたことのない人であるか、よほど何かしら特殊な意図または任務を持った人である。なんと言おうと、ヤラセ・捏造に満ちた映画「ザ・コーヴ」には、ドキュメンタリーかプロパガンダかといった議論の余地はもはや無い。シー・シェパードが世界と日本に向けて仕掛けた正真正銘のプロパガンダである。この映画は、シー・シェパードの言うところの「クジラ戦争-Whale Wars (アニマル・プラネットにて世界中で放送中、ただし日本だけ放送されていない)」における重要な作戦なのだ。そのプロパガンダにどう対処するか、それがいまの我々に問われている課題である。「ザ・コーヴ」に対して反証する映画もいいだろうが、とりあえず、まず早急に打たなくてはならない対処は、日本人に仕掛けようとしてくる精神テロを水際で排除すること。すなわち、国内における劇場での「ザ・コーヴ」の上映を阻止することである。おそらく、「ザ・コーヴ」をプロモートする連中は、それを逆手にとり、「右翼の圧力によって上映中止に追い込まれたザ・コーヴ」などと宣伝に利用しようとするだろう。しかし同時に、シー・シェパードやグリーンピースなどによる欺瞞に満ちた反捕鯨論に対して、その嘘や捏造を暴く絶好の機会でもあるのだ。まずは、世界に配信される海外メディアを通じて、「ザ・コーヴの日本での上映中止」というニュースを配信させ、反捕鯨団体のテロに対して怒っている日本人たちの存在を印象付ける機会としようではないか、仕掛けられたテロに対して、黙って屈することはない。果敢にテロと闘う日本人の姿を世界に見せつけようではないか!

捕鯨論争は嘘とプロパガンダに満ちている-「日本の捕鯨が鯨を絶滅に追いやっている」「鯨の知能指数は人間と同じくらい高い」「鯨食は日本の文化とは言えない」「日本の鯨食は、戦後の学校給食で始まった」「日本の調査捕鯨は商業捕鯨だ」…などなど、さまざまな嘘が反捕鯨団体および外国のメディアによって世界中にばら撒かれている。さらには、日本人の一部までがそれを信じ、捕鯨推進派の日本人たちを罵ろうとする。「鯨肉なんて要らない。日本人の多くは食べたくないんだ。あんなもの美味しくもない。捕鯨問題で、日本は世界中の評判を落としている。鯨なんて食べなくても、牛や豚などの家畜の肉を食えばいいだろう」などと言う日本人がいる。もう完璧に出来あがってしまって、反捕鯨の「白人」のお面をつけてしまっている。日本人はこれまでずっと海の幸・恵みをいただきながら生活してきた。海岸の岩にへばりついている海苔、そこに転がるウニをはじめとして、たくさんの魚、そしてイルカに鯨。この日本の多様で豊かな食生活が日本の文化を支えてきたのだ。今年、話題になったマグロ捕獲量についての国際会議を見て、日本がこれまで食料として確保してきた海の恵みが、英米を中心とした欧米によって鯨以外にもさまざまな種類の魚を制限しようとしていることを理解した人たちも多いと思う。鯨の次は沿岸のイルカ、そしてマグロ、さらにカツオ…理不尽でごう慢な圧力を日本にかけ、日本の食卓を無理やり変革させようとしてきた。思い返せば、1976年、アメリカが200海里漁業専管水域を設定、ロシア、カナダはそれに追従し、日本の漁船が世界中の漁場から締め出されていった。

和歌山県太地町には日本の未来が託されている-自分が鯨の肉を食べないから嫌いだからという理由で、「鯨肉なんて食べなくても他に食べ物はたくさんあるだろ。捕鯨なんてやめてしまえ」という日本人がいる。そんな人に出会うと、私は次のような話をする。「私が大阪に1年間ほど住んでいたが、大抵の大阪の人は納豆の話になると、眼を釣りあげて『あんな足のムレたような臭いのするもん、食べんでええ』と東日本の食文化である納豆を口撃しようとするんだ。鯨もそれと同じだ。自分が食べていないからって、それを非難することはおかしい。それに人間の味覚は小学校2~3年生ぐらいで確立してしまうらしい。私が生まれて初めて牛肉を食べたのが小学校3年ぐらいだったと思う。母親が牛肉の、それも今思えば、サーロインのようないい肉を買ってきて、家で焼いて食べさせてくれたことがある。その時のこと今でも憶えている。そして母親には悪いこと言っちゃたなぁと思うけど、『母ちゃん、この肉は食えんよ。牛乳臭くて美味しくないよ』と言ったんだ。だからこそ、私は日本人みんなに言いたいんだ。いまの20代の日本人が鯨肉を必要ないと言うのは当然。食い付けていないんだよ。だからこそ、いまの小学校の給食で、もっともっと精力的に鯨肉を食べさせてあげなくちゃいけないんだ。子供の頃に食べ慣れさせることが重要なんだ。それを怠ってしまうと日本の捕鯨は本当に無くなってしまうんだ」と。日本の背中の後ろあたりに中国という国があり13億人の胃袋が控えている。これまで日本は世界最大の食料輸入国であったが、中国はまもなく日本を抜き、世界最大の食料輸入国となる。その時、日本が輸入している豚肉や牛肉は本当に安定供給され続けるのだろうか?日本の食料自給率はすでに40%を大きく下回ってしまった(61年80%→05年40%)。この極端に低い食料自給率は、日本の安全保障上にかかわる問題じゃないのか。ある日本人が言う。「日本の調査捕鯨なんて名ばかりで、実態は商業捕鯨じゃないか」と。私は笑いながら答える。「名ばかりで何が悪い?この調査捕鯨をやめてしまえば、これまで培われてきた日本の捕鯨技術とノウハウ。そしてその捕鯨船団と技術を持った乗組員たちはどうなるか?いったんそれらが失われてしまうと、いざという時、今の船団を構成するのにどれほどの年月がかかるか?もう再構築は無いんだよ。だからこの貴重な捕鯨船団、その灯火を消しちゃならないんだ!調査捕鯨は、いざというときのためのアイドリングと考えたほうがいい。それにしても、日本の捕鯨を感情的に攻撃しながら、商業捕鯨を堂々と行っている国があるのを知っているか?それがアメリカだ。彼らはアラスカでのエスキモーのために毎年、絶滅危惧種のホッキョククジラの捕獲数を確保している(※ホッキョククジラの生存数は約9000頭)。これこそ先住民生存捕鯨といった名ばかりの商業捕鯨なのだ。クジラの工芸品がアラスカのウェブサイトで販売されているのを私は見た。アメリカの欺瞞を許してはならない。私はアメリカのエスキモーに次のように言ってやりたいね。絶滅に瀕しているホッキョククジラ以外に他に食うものあるだろうって(笑)。いまや21世紀、スーパーマーケットでトナカイの肉やコンビーフの缶詰でも買って食べたらどうだ?アメリカ政府から手厚い生活保護でも貰っている身分なのだろうから…と。反捕鯨団体はアメリカの先住民生存捕鯨を容認している。反捕鯨団体はその理由を捕鯨がエスキモーの文化だからと主張する。絶滅危惧種であるホッキョククジラを守りたいのか、エスキモーの文化を守りたいのか矛盾してはいないか?反捕鯨団体は本当に自然保護団体なのか、それとも文化保護団体なのか…まさか人種差別団体ではあるまいな(笑)。そして、だからこそ江戸初期から続く古式捕鯨を生んだ和歌山県太地町のイルカ漁を『文化』と呼びたくないのでしょ?」と。私たち日本人は、将来の子供たちのために捕鯨と鯨食を大切に守っていかなければならない。それを日本国内から妨害しようとする反捕鯨団体の策略としての欺瞞に満ちたプロパガンダ映画「ザ・コーヴ」はいかなる手段を持ってしても粉砕すべきなのである。「表現の自由」や「見たいものを見る権利を守ろう」などとナイーヴな意見を主張する以前に、これは「日本の安全保障に関わる問題」であり「日本人の生存権が脅かされている問題」であることをよく考えてもらいたい。そこんとこ、ひとつよろしく。


シーシェパード制作の「ザ・コーヴ」に表現の自由を認めない
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卑劣なプロパガンダ映画「ザ・コーヴ」 April 19, 2010

Posted by TAMAGAWABOAT in Japan, Japanese, racism, whaling.
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今年3月のアカデミー賞・長編ドキュメンタリー賞受賞作品「ザ・コーヴ」の全編を観た。日本での一般公開は今年の初夏を予定しているらしいが、私は、この映画を一足先にある動画サイトで観させてもらった。この映画を観ながら私は、「このトーン、どこかで観たぞ。なんだろ、ん?ああ、そうだ!これはスニーカーズだ!」と叫んでしまった。92年に公開されたダン・エイクロイド、ロバート・レッドフォード共演の「スニーカーズ」という映画。その「スニーカーズ」に、懐かしの「わんぱくフリッパー」を足して2で割った作品、それが「ザ・コーヴ」。「スニーカーズ」については詳しいことはここでは述べない。コンピューターのハッキングを扱った映画であったが、結構はずした(期待を)映画だった。映画を観ても何も残らない。ただただ時間の無駄を後悔するような映画。もし「スニーカーズ」をかつて観た人で、今回の「ザ・コーヴ」を観れば、思わず「どこかでこの雰囲気みたような」という印象を受けると思う。

映画「ザ・コーヴ」を総括すると、「イルカちゃん大好き」にかこつけて一方的な視点から、ヤラセと虚偽を交え、反捕鯨を名目とした、実質的には反日プロパガンダ映画と断言できる。製作者の押し付けがましいほどの自分よがりの価値観とフェイクな正義感。それが理解できた瞬間(理解できるまで長い時間を要さない)、この映画に費やした時間の無駄を後悔してしまう映画だった。この映画を観た者に何も残さない、何も考えさせることができない映画、それが「ザ・コーヴ」である。本来ならば、観る者にとって「いままで気づかなかった視点」を与えることによって、観る者に何かしら考えさせることができる映画を「ドキュメンタリー」と呼ぶのだ。その考えること、いわば問題提起。その問題提起が普遍的であればあるほど、それを私は、素晴らしいドキュメンタリーだと思う。そのドキュメンタリーに対峙して、一方的な視点や考えを無理やりにでも観る者に押し付けようとする映画を「プロパガンダ」と呼ぶ。この「ザ・コーヴ」、「イルカちゃん大好き」「日本叩き大好き」な浅薄で単細胞な人たちには評価されるのかもしれないが、よくもまぁ、こんな映画を日本で配給しようとする会社が存在すると聞くと、逆にその配給会社の勇気に感服してしまう。この映画を「優れたドキュメンタリー映画」と思っている日本人は、きわめて少ないだろうから。

3年ほど前、話題になったドキュメンタリー映画「いのちの食べかた」(ドイツ・オーストリア:2005年制作)を渋谷で観た。ナレーションもない、言葉もない・・・静かなトーン、黙々と静かに進行する家畜の屠殺シーン。次々と殺されていく鶏、豚、牛。そして、その現場で働く人々、ただ黙々と働く・・・。「感情」をしっかりと抑制したトーンの中に、この映画を製作した者の「知性」を感じ取ることのできる映画だった。これこそが「真の優れたドキュメンタリー映画」なのである。映画「いのちの食べかた」を劇場で観た人の多くは、劇場からの帰りに食堂やレストランに入って、お皿にのった「肉」を眺めながら、しばし感慨にふけってしまうのだろうなと思った。私自身は、この映画から、私たち人間は動物に対して「可愛い」という感情を抱きつつも同時に、自分たちが生きるためには、彼らの命を絶ち、その肉体をいただかなければならないという、きわめて悲しい存在なのかなと思った。日本人が食べる前に手を合わせながら発する「いただきます」という言葉には、命と引き換えに「肉」を提供してくれた生き物への「感謝」の意味が込められているのだと認識した。

「いのちの食べかた」と、言わば対極にある「ザ・コーヴ」。最後に、映画「ザ・コーヴ」をもうひとつ評するならば、私は次のようにコメントするだろう。「ザ・コーヴ」はきわめて卑劣なプロパガンダ映画であると。なぜならば、この映画には、観る者たちに、イルカの命を絶つ人々に対して「憎悪」を抱かせるように仕組まれているからだ。誰も好き好んで、家畜や生き物を殺しているのではない。誰かが「肉」を提供してくれる生き物の「命」を絶たなきゃならない。「屠殺」は自らの手を血で染めるような仕事。多くの人々が嫌がる仕事なのだ。しかし、生き物の命を絶つという仕事に携わる人々とその肉体の解体に携わる人々の労働によって、われわれ人間はそれらの「肉」をはじめて食べることができるのだ。どうしても人間社会において不可欠であり、きわめて大切な仕事。人間社会においてそのような不可欠かつ大事な仕事を茶化したり蔑んでみたり、さらには、それらの仕事に従事する人々に対して「憎悪や偏見」を煽ろうとする、しかも、ヤラセや視覚的な効果によって・・・とんでもない映画だ!なんて卑怯なんだ、なんて卑劣な映画なんだ、「ザ・コーヴ」は反吐がでるほど卑劣な映画だ。和歌山県太地町の人々をはじめ日本人全体が、この映画によって深刻な人権侵害を受けている。私は、映画「ザ・コーヴ」の製作者ルーイー・サホイヨスを許すことはできない。

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いのちの食べかた

日の丸・君が代 March 1, 2008

Posted by TAMAGAWABOAT in Blogroll, Japan, WW2, Yasukuni.
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200508_nihongamoshi1.jpg日本人にとっては少しばかり辛辣な話をする。たまにではあるが、日本人が日本という国の将来に悲観をして、こんなことを言い出す日本人に出くわすことがある。「日本はもうこれ以上の経済的発展も見込めないし衰退していくだけ。日本の周囲には中国やら北朝鮮やら韓国やら得体の知れない気持ちの悪い国ばかり。中国がいつ攻めてくるか心配でしょうがない。いっそのこと、日本は独立を放棄してアメリカ合衆国の51番目の州として国土を差し出したらどうだろうか!?それって、いいアイディアだよね。日本人はみんなアメリカ国籍。軍事的に守ってもらって、外交的にも経済的にも強力になるし、1億3千万人の日系アメリカ人が誕生したら、日系の米大統領も夢じゃない・・・」 実はこれ、先日、飲み屋さんのカウンターでたびたび顔を合わせる店の常連客(都立高の国語教師)が言った言葉だった。

manzanar011.jpgその話を聞いて、その常連さんに言った。「あなたね。トイレに行ってさ、トイレにある鏡で自分の顔をよく見てごらん?アメリカ人ってどんな顔していると思う?あなたの眼は青いですか?あなたの髪は金髪ですか?あなたの顔は白人っぽいですか?あなたの顔は、アジア人そのもの。あなたがよほどアメリカのことが好きなのはわかるけど、アメリカ人の立場になって考えてごらん?日本が領土をアメリカに差し出すというと、アメリカはきっとこう言い出すと思うよ。領土は有難くいただきます。そして日本人には第2アメリカ人というタイトルをあげましょう。第2アメリカ人は日本州から本土への移住はできません。そして徴兵制を施行しますので、アフガンとイラクの前線へ行っていただきます。これからイランと戦う準備中でしたから、君たちはそこでもがんばっていただきます」 その常連さん、どうして私がこんな説教じみた事を言っているのか皆目わからないらしく、キョトンとしていた。

miyatakeboys1.jpgマンザナール強制収容所。第二次大戦中、アメリカ合衆国はアメリカ国籍を持つ日系アメリカ人1万人あまりをここに収容した。日系アメリカ人強制収容所はここ以外に9つあり、アメリカ全土で11万人がすべての財産を完全に奪われ、終戦まで各地の強制収容所に収容された。ドイツ系やイタリア系は収容されず、日系だけが4年近くも囚人のように自由が奪われた。奪われた財産は帰って来なかった。同じ国籍を持っていても白人でなければ人種差別を受ける。それがアメリカだ。戦後63年経たいまも同じ。180px-propaganda_jap21.jpg昨年、米下院で可決した慰安婦決議。まったく事実に基づかない日本への慰安婦非難決議が通過してしまった。アメリカ軍も日本進駐時や朝鮮戦争時、そしてベトナム戦争時でも慰安婦や売春婦を囲っていたじゃないか。それを日本側の反論も許さず、アメリカ自身の過去も省みず、一方的に嘘で塗り固めて「日本人=野蛮で破廉恥な強姦民族」としてレッテル貼ったじゃないか。この問題の根本は、アメリカ人の日本人に対する人種差別にある。われわれ日本人は今もなお有色人種として差別や偏見を受けているのだ。アメリカ人が日本人を差別しているといったことは極めて受け入れがたいことである。もちろん差別を受け入れる必要はない。しかしながら、彼らがわれわれ日本人を今でも人種的偏見で差別していることは、われわれ日本人の認識のどこかに常に置いていたほうがよいかと思う。いつの間にか、多くの日本人は自分の顔が白人と同じであって、白人たちはわれわれ日本人を対等に扱ってくれているなどといった間違った錯覚に陥っている。日本人は、あまりにもアメリカ合衆国に幻想を抱きすぎる。アメリカの「自由・人権・民主主義」なんて幻想に過ぎない。

kimigayo_sensei.jpg卒業式で「君が代」が演奏されると、これ見よがしに即座に着席する教師。校歌は斉唱できても国歌は斉唱できないそうだ。君が代を国歌として歌うことはおろか、君が代が演奏されている間じゅう、着席していることが「良心の自由」とやらを守ることになるそうだ。わざわざ、そうした姿を無垢な児童たちに見せて、「どう?これが良心の自由を守っている尊い姿よ。私は人間の尊厳を守るために戦っているのよ。ほらほら見て見て。さあ、あなたたたちも・・・(これ見よがしの示威行為)」なんて考えてんだろ、コイツ等。こうした教師たちはきっと「たまたま運が悪くて日本人に生まれただけ。人間はみな生まれながらにして自由なのよ。だからって国籍なんて変えないわ。せっかくオイシイ仕事に就けたのだから。誰にも私の思想と信条を侵害することは絶対に許さないわ!ゆけ~、フリーダーム!!」なんて考えているんだろうな。こういった教師は自分の親の葬式でも「私は、本当のことを言えば、この親の子供としては生まれたくなかったんです!親が死んで、やっと自由になりました!遺灰は墓参りが面倒だから、海に撒く自然葬にいたします!」なんて挨拶するんじゃないか?子は親を選ぶことはできない。そして子は死ぬまで、その親の子という運命を背負って生きる。そこに自由はない。本人は望まなくても日本人に生まれたからには、どこの国へ行こうが他所の国へ移住しようが、本人が死ぬまで「日本人」であり、そこに自由はない。本人は自由と思っていても、その肌の色や小さな眼は変えられない。たとえ日本人がいない土地で暮らしても、周囲はあなたを「日本人」とみなす。だから、他所の土地においても「日本人」ということから自由にはなれないのである。japan_passport.jpg日本人は日本人として生まれた以上、日本人として死ぬのが運命なのだ。しかしながら、海外に一歩でも出ると、赤い旅券を携帯し、時にその赤い旅券はあなたの生命を守ってくれることもあるし、他の国籍の人たちが自由に入国できない国も査証無しで入国できたりすることもある。バックパッカーとして海外をひとりで歩けば、「日本人」というだけで、現地の人たちのいろんな恩恵にも授かれることが多くある。それらはみんな、先人としての日本人たちのお陰なんだ。

日本人は、戦後63年間、アメリカの「自由・人権・民主主義」をあまりにも崇拝しすぎてはいなかったか、よくよく考えてみるがよい。アメリカの掲げる「自由・人権・民主主義」を中心に、いつも日本はその周りをグルグルと回ってきた。アメリカを地球としたら日本が月で、アメリカという地球を常に見つめながら、「自由」「人権」「民主主義」と唱えつつ、同じ軌道を63年もの間、周回してきた。しかしながら、ここにきて、日本はその周回軌道をいつの間にか大きく外れてしまった。軌道を外れて宇宙のはるか彼方へ飛んで行きそうだ。自由・人権・民主主義の乱発によって、もうどこまでも自由・人権・民主主義・・・社会や組織は崩壊し、日本人ひとりひとりが完全なる個となりつつあることに気づく。hatabou1.gif「社会がなんだ!?国がなんだ!?フリーダムだ!俺は自由だ!俺の勝手だ!」・・・自由・人権という言葉が、あまりにも拡大解釈されすぎて、社会の混乱と無秩序さを生み出しているのだ。

「君が代の強制は、自分の思想・信条を侵すもの」と主張し、児童たちの大切な門出の儀式を身勝手な行動で乱す・・・それが周囲にとってどれだけ迷惑か、周囲に迷惑をかけてすまないという気持ちすら無いのか?そんな「良心の呵責」すら感じない人間が「良心の自由」を語るな!・・・と私は言いたい。

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