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映画「ザ・コーヴ」の上映はすべて中止すべきだ June 4, 2010

Posted by TAMAGAWABOAT in Blogroll, Frank Capra, Japan, Japan Bashing, racism, whaling.
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テロの手法には大きく2通りある-反捕鯨を口実とした反日プロパガンダ映画「ザ・コーヴ」の日本国内での劇場公開が、ある劇場では6月下旬ごろからと決まったらしい。ある人々は言う。「ある特定団体(右翼)が配給会社や劇場に対して圧力かけて『ザ・コーヴ』を上映中止に追い込んでいる。08年の映画・靖国YASUKUNIの再現だ。今ふたたび表現の自由が危機に晒されている。表現の自由を守ろう!」と。さらには「映画を観ずして批判するな!批判は映画を観てからにしろ!」と常套文句を用いた映画宣伝へと誘導しようとする連中がいる。私はこうした論調に対し、ぜひとも日本人自身の力で、映画「ザ・コーヴ」の上映を断固阻止すべきだと、信念を持ってそう思っている。なぜならば、この「ザ・コーヴ」の実態をよくよくみれば、南氷洋において日本の調査捕鯨船に対し繰り返し危険なテロ攻撃を行ってきたシー・シェパードがスポンサーとなっている映画であるということ(そのように公表されていなくてもそうなのだ)に気づくはずだ。そして、予め頭の中に抑えておかなければならないことは、テロの手法には、物理的なテロと精神的なテロの2通りあるということ。精神的なテロとは、メディアを通じた情報操作や映像を通じて、テロの目的を遂行しようとすること。この映画「ザ・コーヴ」は、まさに精神テロの使命を帯びたシー・シェパードのプロパガンダ映画なのだ。ゆえに、「テロに屈しない!」という文言通り、この映画を日本で絶対に上映させてはならないのである。それでもなお、「映画を観ずして批判するな。表現の自由に対する弾圧だ」などと言い続けている連中は、私からみれば、日本国内へ危険な「トロイの木馬」を引き入れようとする工作員である。

敵のプロパガンダを封じ込める-映画「ザ・コーヴ」をドキュメンタリーなどと絶対に呼ばないでいただきたい。もし、そう呼ぶならば、1944年のフランク・キャプラ作品の「ザ・バトル・オブ・チャイナ(The Battle of China)」までもがドキュメンタリーとなってしまう。プロパガンダには、はっきりと「プロパガンダ」という呼称を用いるべきだ。それでも「ザ・コーヴ」をドキュメンタリーと呼ぼうとする人間は、ドキュメンタリーとプロパガンダの違いを考えたことのない人であるか、よほど何かしら特殊な意図または任務を持った人である。なんと言おうと、ヤラセ・捏造に満ちた映画「ザ・コーヴ」には、ドキュメンタリーかプロパガンダかといった議論の余地はもはや無い。シー・シェパードが世界と日本に向けて仕掛けた正真正銘のプロパガンダである。この映画は、シー・シェパードの言うところの「クジラ戦争-Whale Wars (アニマル・プラネットにて世界中で放送中、ただし日本だけ放送されていない)」における重要な作戦なのだ。そのプロパガンダにどう対処するか、それがいまの我々に問われている課題である。「ザ・コーヴ」に対して反証する映画もいいだろうが、とりあえず、まず早急に打たなくてはならない対処は、日本人に仕掛けようとしてくる精神テロを水際で排除すること。すなわち、国内における劇場での「ザ・コーヴ」の上映を阻止することである。おそらく、「ザ・コーヴ」をプロモートする連中は、それを逆手にとり、「右翼の圧力によって上映中止に追い込まれたザ・コーヴ」などと宣伝に利用しようとするだろう。しかし同時に、シー・シェパードやグリーンピースなどによる欺瞞に満ちた反捕鯨論に対して、その嘘や捏造を暴く絶好の機会でもあるのだ。まずは、世界に配信される海外メディアを通じて、「ザ・コーヴの日本での上映中止」というニュースを配信させ、反捕鯨団体のテロに対して怒っている日本人たちの存在を印象付ける機会としようではないか、仕掛けられたテロに対して、黙って屈することはない。果敢にテロと闘う日本人の姿を世界に見せつけようではないか!

捕鯨論争は嘘とプロパガンダに満ちている-「日本の捕鯨が鯨を絶滅に追いやっている」「鯨の知能指数は人間と同じくらい高い」「鯨食は日本の文化とは言えない」「日本の鯨食は、戦後の学校給食で始まった」「日本の調査捕鯨は商業捕鯨だ」…などなど、さまざまな嘘が反捕鯨団体および外国のメディアによって世界中にばら撒かれている。さらには、日本人の一部までがそれを信じ、捕鯨推進派の日本人たちを罵ろうとする。「鯨肉なんて要らない。日本人の多くは食べたくないんだ。あんなもの美味しくもない。捕鯨問題で、日本は世界中の評判を落としている。鯨なんて食べなくても、牛や豚などの家畜の肉を食えばいいだろう」などと言う日本人がいる。もう完璧に出来あがってしまって、反捕鯨の「白人」のお面をつけてしまっている。日本人はこれまでずっと海の幸・恵みをいただきながら生活してきた。海岸の岩にへばりついている海苔、そこに転がるウニをはじめとして、たくさんの魚、そしてイルカに鯨。この日本の多様で豊かな食生活が日本の文化を支えてきたのだ。今年、話題になったマグロ捕獲量についての国際会議を見て、日本がこれまで食料として確保してきた海の恵みが、英米を中心とした欧米によって鯨以外にもさまざまな種類の魚を制限しようとしていることを理解した人たちも多いと思う。鯨の次は沿岸のイルカ、そしてマグロ、さらにカツオ…理不尽でごう慢な圧力を日本にかけ、日本の食卓を無理やり変革させようとしてきた。思い返せば、1976年、アメリカが200海里漁業専管水域を設定、ロシア、カナダはそれに追従し、日本の漁船が世界中の漁場から締め出されていった。

和歌山県太地町には日本の未来が託されている-自分が鯨の肉を食べないから嫌いだからという理由で、「鯨肉なんて食べなくても他に食べ物はたくさんあるだろ。捕鯨なんてやめてしまえ」という日本人がいる。そんな人に出会うと、私は次のような話をする。「私が大阪に1年間ほど住んでいたが、大抵の大阪の人は納豆の話になると、眼を釣りあげて『あんな足のムレたような臭いのするもん、食べんでええ』と東日本の食文化である納豆を口撃しようとするんだ。鯨もそれと同じだ。自分が食べていないからって、それを非難することはおかしい。それに人間の味覚は小学校2~3年生ぐらいで確立してしまうらしい。私が生まれて初めて牛肉を食べたのが小学校3年ぐらいだったと思う。母親が牛肉の、それも今思えば、サーロインのようないい肉を買ってきて、家で焼いて食べさせてくれたことがある。その時のこと今でも憶えている。そして母親には悪いこと言っちゃたなぁと思うけど、『母ちゃん、この肉は食えんよ。牛乳臭くて美味しくないよ』と言ったんだ。だからこそ、私は日本人みんなに言いたいんだ。いまの20代の日本人が鯨肉を必要ないと言うのは当然。食い付けていないんだよ。だからこそ、いまの小学校の給食で、もっともっと精力的に鯨肉を食べさせてあげなくちゃいけないんだ。子供の頃に食べ慣れさせることが重要なんだ。それを怠ってしまうと日本の捕鯨は本当に無くなってしまうんだ」と。日本の背中の後ろあたりに中国という国があり13億人の胃袋が控えている。これまで日本は世界最大の食料輸入国であったが、中国はまもなく日本を抜き、世界最大の食料輸入国となる。その時、日本が輸入している豚肉や牛肉は本当に安定供給され続けるのだろうか?日本の食料自給率はすでに40%を大きく下回ってしまった(61年80%→05年40%)。この極端に低い食料自給率は、日本の安全保障上にかかわる問題じゃないのか。ある日本人が言う。「日本の調査捕鯨なんて名ばかりで、実態は商業捕鯨じゃないか」と。私は笑いながら答える。「名ばかりで何が悪い?この調査捕鯨をやめてしまえば、これまで培われてきた日本の捕鯨技術とノウハウ。そしてその捕鯨船団と技術を持った乗組員たちはどうなるか?いったんそれらが失われてしまうと、いざという時、今の船団を構成するのにどれほどの年月がかかるか?もう再構築は無いんだよ。だからこの貴重な捕鯨船団、その灯火を消しちゃならないんだ!調査捕鯨は、いざというときのためのアイドリングと考えたほうがいい。それにしても、日本の捕鯨を感情的に攻撃しながら、商業捕鯨を堂々と行っている国があるのを知っているか?それがアメリカだ。彼らはアラスカでのエスキモーのために毎年、絶滅危惧種のホッキョククジラの捕獲数を確保している(※ホッキョククジラの生存数は約9000頭)。これこそ先住民生存捕鯨といった名ばかりの商業捕鯨なのだ。クジラの工芸品がアラスカのウェブサイトで販売されているのを私は見た。アメリカの欺瞞を許してはならない。私はアメリカのエスキモーに次のように言ってやりたいね。絶滅に瀕しているホッキョククジラ以外に他に食うものあるだろうって(笑)。いまや21世紀、スーパーマーケットでトナカイの肉やコンビーフの缶詰でも買って食べたらどうだ?アメリカ政府から手厚い生活保護でも貰っている身分なのだろうから…と。反捕鯨団体はアメリカの先住民生存捕鯨を容認している。反捕鯨団体はその理由を捕鯨がエスキモーの文化だからと主張する。絶滅危惧種であるホッキョククジラを守りたいのか、エスキモーの文化を守りたいのか矛盾してはいないか?反捕鯨団体は本当に自然保護団体なのか、それとも文化保護団体なのか…まさか人種差別団体ではあるまいな(笑)。そして、だからこそ江戸初期から続く古式捕鯨を生んだ和歌山県太地町のイルカ漁を『文化』と呼びたくないのでしょ?」と。私たち日本人は、将来の子供たちのために捕鯨と鯨食を大切に守っていかなければならない。それを日本国内から妨害しようとする反捕鯨団体の策略としての欺瞞に満ちたプロパガンダ映画「ザ・コーヴ」はいかなる手段を持ってしても粉砕すべきなのである。「表現の自由」や「見たいものを見る権利を守ろう」などとナイーヴな意見を主張する以前に、これは「日本の安全保障に関わる問題」であり「日本人の生存権が脅かされている問題」であることをよく考えてもらいたい。そこんとこ、ひとつよろしく。


シーシェパード制作の「ザ・コーヴ」に表現の自由を認めない
卑劣なプロパガンダ映画「ザ・コーヴ」
THE COVE – A Despicable Propaganda Movie
WHAT’S THE PURPOSE OF ANTI-WHALING?

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卑劣なプロパガンダ映画「ザ・コーヴ」 April 19, 2010

Posted by TAMAGAWABOAT in Japan, Japanese, racism, whaling.
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今年3月のアカデミー賞・長編ドキュメンタリー賞受賞作品「ザ・コーヴ」の全編を観た。日本での一般公開は今年の初夏を予定しているらしいが、私は、この映画を一足先にある動画サイトで観させてもらった。この映画を観ながら私は、「このトーン、どこかで観たぞ。なんだろ、ん?ああ、そうだ!これはスニーカーズだ!」と叫んでしまった。92年に公開されたダン・エイクロイド、ロバート・レッドフォード共演の「スニーカーズ」という映画。その「スニーカーズ」に、懐かしの「わんぱくフリッパー」を足して2で割った作品、それが「ザ・コーヴ」。「スニーカーズ」については詳しいことはここでは述べない。コンピューターのハッキングを扱った映画であったが、結構はずした(期待を)映画だった。映画を観ても何も残らない。ただただ時間の無駄を後悔するような映画。もし「スニーカーズ」をかつて観た人で、今回の「ザ・コーヴ」を観れば、思わず「どこかでこの雰囲気みたような」という印象を受けると思う。

映画「ザ・コーヴ」を総括すると、「イルカちゃん大好き」にかこつけて一方的な視点から、ヤラセと虚偽を交え、反捕鯨を名目とした、実質的には反日プロパガンダ映画と断言できる。製作者の押し付けがましいほどの自分よがりの価値観とフェイクな正義感。それが理解できた瞬間(理解できるまで長い時間を要さない)、この映画に費やした時間の無駄を後悔してしまう映画だった。この映画を観た者に何も残さない、何も考えさせることができない映画、それが「ザ・コーヴ」である。本来ならば、観る者にとって「いままで気づかなかった視点」を与えることによって、観る者に何かしら考えさせることができる映画を「ドキュメンタリー」と呼ぶのだ。その考えること、いわば問題提起。その問題提起が普遍的であればあるほど、それを私は、素晴らしいドキュメンタリーだと思う。そのドキュメンタリーに対峙して、一方的な視点や考えを無理やりにでも観る者に押し付けようとする映画を「プロパガンダ」と呼ぶ。この「ザ・コーヴ」、「イルカちゃん大好き」「日本叩き大好き」な浅薄で単細胞な人たちには評価されるのかもしれないが、よくもまぁ、こんな映画を日本で配給しようとする会社が存在すると聞くと、逆にその配給会社の勇気に感服してしまう。この映画を「優れたドキュメンタリー映画」と思っている日本人は、きわめて少ないだろうから。

3年ほど前、話題になったドキュメンタリー映画「いのちの食べかた」(ドイツ・オーストリア:2005年制作)を渋谷で観た。ナレーションもない、言葉もない・・・静かなトーン、黙々と静かに進行する家畜の屠殺シーン。次々と殺されていく鶏、豚、牛。そして、その現場で働く人々、ただ黙々と働く・・・。「感情」をしっかりと抑制したトーンの中に、この映画を製作した者の「知性」を感じ取ることのできる映画だった。これこそが「真の優れたドキュメンタリー映画」なのである。映画「いのちの食べかた」を劇場で観た人の多くは、劇場からの帰りに食堂やレストランに入って、お皿にのった「肉」を眺めながら、しばし感慨にふけってしまうのだろうなと思った。私自身は、この映画から、私たち人間は動物に対して「可愛い」という感情を抱きつつも同時に、自分たちが生きるためには、彼らの命を絶ち、その肉体をいただかなければならないという、きわめて悲しい存在なのかなと思った。日本人が食べる前に手を合わせながら発する「いただきます」という言葉には、命と引き換えに「肉」を提供してくれた生き物への「感謝」の意味が込められているのだと認識した。

「いのちの食べかた」と、言わば対極にある「ザ・コーヴ」。最後に、映画「ザ・コーヴ」をもうひとつ評するならば、私は次のようにコメントするだろう。「ザ・コーヴ」はきわめて卑劣なプロパガンダ映画であると。なぜならば、この映画には、観る者たちに、イルカの命を絶つ人々に対して「憎悪」を抱かせるように仕組まれているからだ。誰も好き好んで、家畜や生き物を殺しているのではない。誰かが「肉」を提供してくれる生き物の「命」を絶たなきゃならない。「屠殺」は自らの手を血で染めるような仕事。多くの人々が嫌がる仕事なのだ。しかし、生き物の命を絶つという仕事に携わる人々とその肉体の解体に携わる人々の労働によって、われわれ人間はそれらの「肉」をはじめて食べることができるのだ。どうしても人間社会において不可欠であり、きわめて大切な仕事。人間社会においてそのような不可欠かつ大事な仕事を茶化したり蔑んでみたり、さらには、それらの仕事に従事する人々に対して「憎悪や偏見」を煽ろうとする、しかも、ヤラセや視覚的な効果によって・・・とんでもない映画だ!なんて卑怯なんだ、なんて卑劣な映画なんだ、「ザ・コーヴ」は反吐がでるほど卑劣な映画だ。和歌山県太地町の人々をはじめ日本人全体が、この映画によって深刻な人権侵害を受けている。私は、映画「ザ・コーヴ」の製作者ルーイー・サホイヨスを許すことはできない。

シーシェパード制作の「ザ・コーヴ」に表現の自由を認めない
映画「ザ・コーヴ」の上映はすべて中止すべきだ
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いのちの食べかた

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