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駅前のアヘン売人、パチンコ店を排除せよ。 April 16, 2011

Posted by TAMAGAWABOAT in Blogroll, Japan, Japanese, Korean, Pachinko.
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皆が節電に努める中、通常どおりのパチンコ店

計画停電下でのパチンコ店営業、呆れた無節操さ。
東北の太平洋沖で大地震が発生した3月11日が金曜日。その3日後の月曜日、3月14日の朝、職場へ向かうべく駅まで行くと、駅のシャッターが完全に降りていた。「計画停電のため終日運休」と張り紙があった。仕方なく、駅から自宅へ今来た道を戻り始めた矢先、チンチンジャラジャラといったパチンコ店の音。思わず、パチンコ屋のドアを開け、豪雨のようなパチンコ玉が流れる音と耳をつんざく電子音の中をカウンターにまっしぐら。「おい、店長呼べ!」と怒鳴ると、「どうしましたか!?」と茶髪の女。「どうもこうもない!なに営業やってんだ!」「はぁ?」「はぁ、じゃない!はやく店長呼べ」と大声で言うと、カウンターの後ろから店長が現われ、「いきなり何ですか?あなたは」とキョトンとした表情の店長。「この町全体で節電やっているのに、なんでお前の店は営業やってんだよ。駅でさえシャッター閉めてんだぞ!」と言うと、「私たちは、これが仕事ですから」と店長。「みんな節電に協力して仕事やってないんだよ。第一に職場に辿り着けないんだ。わかったか!はやく店、閉めろぉぉぉ!」と超大声で怒鳴り散らかすと、パチンコやってた客がみな口をポカンと開けて、こちらを見ている。店長が「お客さんが迷惑してますよ。営業妨害ですよ!」、私が「なにが営業妨害だ。俺は営業をやめろって言ってんだ!!!」と怒鳴ると、「警察に通報しますよ!」と店長。・・・とすったもんだしていると、偶然自転車で通りがかった警官。「どうしました?」 、私はすかさず店長を指さしながら、「おまわりさん、コイツを国家反逆罪で逮捕してください」・・・と、後の話は割愛させていただきますが、一応これ、ノンフィクションです。

読売新聞3/23朝刊より「産業別の電力消費量」

東電管内のパチンコ店の電力消費量は世田谷43万世帯分。
福島第一原発事故以降、計画停電や節電の呼びかけが行われ、駅のエスカレータの使用が控えられ電車内の空調や照明まで消されている最中、なぜパチンコ店が朝10時から夜11時までの平常営業をやっているのか?読売新聞3月24日朝刊の「東京ドームでのプロ野球公式戦の開幕戦延期云々」の関連記事の中で使用された資料中に、「東京電力管内の主な産業や施設などの電力消費量についての一覧表」が掲載された。その表によると、東京電力管内のパチンコ店が消費する1日あたりの電力の量は415万kWh。一般家庭に換算すると、約43万世帯分に相当するとしている(参考:世田谷区は約43万世帯、人口88万人)。この新聞が出た3月24日時点での東京電力の最大電力供給量は約3700万kWhであったのだから、パチンコ産業だけで(営業自粛なしの条件下で)、電力供給量の約11%を消費していたことになる。読売新聞は、この数字は、平成22年12月の全日本遊戯事業共同組合連合会の調査報告書にある数字に基づき算出されている。この調査報告書によると、全国11,579のパチンコ店を対象とし、その83.5%にあたる9,666店が回答し、うち電力消費量について82.1%が回答。その結果、全国の9,512店の電力の年間の総消費量は約81億1千万kWhで、うち東京電力管内が15億1千万kWh。その年間の総消費量15億1千万kWhを365日で割って、約415万kWhを算出した。石原慎太郎氏は、都知事選挙の際、「東京電力管内のパチンコ店は1日あたり450万kWhの電力を消費している」と言ったが、読売新聞の415万kWhという数字は、パチンコ店全店の約82%ほどのカバー率である調査に基づいて算出されたものだから、回答率を100%と考えて推計すれば、ほぼ450万kWhとなるので、ある程度、妥当な数字と言えよう。であれば、福島第一原発の総発電量は470万kWであるから、東京電力管内の3600店(+α)の全店の電力を賄うために、この原子力発電所は建設されたようなものだという考え方もできやしないか。

パチンコ・エヴァンゲリオンのリーチ前

パチンコは娯楽ではない、パチンコはアヘンだ。
私は、計画停電の有無に関係なくパチンコに反対である。また、パチンコ店を経営者の9割以上が在日朝鮮人・韓国人および帰化した人であるという理由からパチンコに反対しているわけでもない。売上げが朝鮮総連を通じてテポドン・ミサイルになって日本に帰ってくるからでもない。純粋にパチンコは諸悪の根源であり、日本社会に注入された猛毒、根元から断つべき存在だと、私は、そう純粋に考えている。パチンコは娯楽ではない。パチンコは博打だ。しかも、ユーザーを依存症へと引きずり込み、最終的に人生や家庭、そして社会そのものを崩壊させる現代のアヘンであるからだ。多くの人がパチンコに嵌り、街金から金を借り、経済的に破綻し、金銭問題で夫婦の絆・家族との絆をズタズタにし、金欲しさに犯罪に走り、本人の人生が破綻するばかりでなく周囲の人間までを悲痛のどん底へと陥れ、社会全体の治安を悪化させる。そんなパチンコ店が日本じゅうの駅という駅の前に必ずある・・・。異常だとは思わないか?ある人は言う、「パチンコは娯楽だ。パチンコは楽しい」と。私は言う、「楽しい?ほう、では換金をするな。純粋にパチンコというゲームをただ楽しめばよろしい」と。ある人は言う、「それだけでは面白くないんだ。やっぱり金を賭けて、儲かるからパチンコは面白いんだ」と。私は言う、「やっぱり金か。あなたはパチンコという賭博が面白いと言っているんだよね。儲かるから面白いのであるなら、儲からなければ面白くないのか?」と。ある人は言う、「パチンコで4、5万使ってしまった日には、負けた悔しさを通り越して、なんて俺って馬鹿なんだろうって落ち込んでしまう」「じゃあ、止めればいいじゃない」と私が言うと、「でも翌朝には、昨日の負けを取り戻さなくちゃって思ったりしている自分がいる」と。私は問う、「それで、昨日の負けが取り戻せたのか?」と。すると「前日の負けが戻せる場合もあるし、戻せない場合もある・・・どちらかと言うと戻せない場合が多いな」と言う。私は「じゃあ、結局は負けが込んでいるじゃないか。この1年でいくら使ったんだ?いくら負けたんだ?」と問うと、「いくらだろうか?考えたくもないなあ」と答える。「じゃあ、ひと月にパチンコにいくら注ぎ込んでいるんだ?」と訊ねると、「14、5万ぐらいかな。でも勝つこともあるよ。たまにだけど。3、4万ぐらい」と顔が曇る。私が「パチンコのどこが娯楽か!地獄そのものじゃないか。パチンコ、思い切ってパチンコやめろよ!」と言うと、この人は自分の頭を抱えながら、「パチンコやめたい、でも、どうしてもパチンコやめられないんだ!」と言う。私は答える、「それは病気だよ。パチンコ依存症だ。然るべき治療の必要な病気だ。ところで、2年ほど前に、付き合っていると言っていた彼女は?いまどこ?」、「・・・・」。彼は、常にパチンコをやめたいと苦しんでいるが、パチンコ店の前を通ると、つい店に入り、パチンコ台の前に座っていると言う。負けるとひどく落ち込むが、負けが込むほど、なんとしても負けを取り戻さなければと思うらしい。寝ても醒めても、パチンコ台のリーチの瞬間のけたたましい音と派手な照明のフラッシュが、常に彼の頭の中でチラついているらしい。手に汗握るリーチの瞬間を求め、パチンコ台の前に座るのだと。彼が街金から200万円ほど借金をしていることを知った。2年ほど前まで付き合っていた彼女は彼にパチンコをやめるよう何度も懇願し、いつもそれが喧嘩のもとだったそうだ。やがて彼女は彼から去っていったそうだ。私は彼を救いたいと思った。パチンコに嵌る彼が悪いのか?それとも、うまく人が嵌るように射幸心(しゃこうしん)を煽るパチンコ店が悪いのか?それを摘発して廃止しない今の政府が悪いのか?そもそもパチンコは娯楽ではない。パチンコはアヘンだ。そして彼はアヘンの常習者であり、パチンコ店はアヘンの売人である。まず第一に取り締まるべきはアヘンの売人だ。私は、ひとりでも多くの人がパチンコで不幸に陥ることのないよう、日本全国のパチンコ台をすべて焼き払いたいと思った。

ネオン・チカチカの下品極まりないパチンコ屋

職業には貴賎がある。
私が「パチンコ店を廃止せよ」と主張すると、「パチンコ店で働いている人たちの雇用はどうなるのか?生活はどうなるのか?無責任なことを言うな」という人がしばしば現れる。私は答える。「この機会に転職すればよいではないか?もっと他人を幸せにするような仕事を探せばよかろう。この国には職業選択の自由がある。他業種に自由に移ることができる」と。大変面白いことに、パチンコ・ファンらしき人は「パチンコは楽しい、パチンコは娯楽だ」と言うが、パチンコ店に勤める店員のほとんどの人がパチンコをしない。自分では好ましく思っていない商品やサービスを客に熱心に勧める業界を、私はパチンコ産業以外に知らない。パチンコが本当に面白いモノであって、パチンコが客を本当に楽しませ満足させるものであるならば、パチンコ店に勤めている人間は暇な時間はパチンコをいじって遊んでいるはずだ。しかし、それは皆無だ。なぜなら、彼らはパチンコ店の裏側を知っているからだ。パチンコが儲からない仕組まれた博打だと知っているからだ。そしてパチンコがいかに恐ろしいものかを熟知しているからだ。パチンコ産業で働く人々は、パチンコは予め仕組まれた馬鹿々々しい博打であり、パチンコに嵌った客は愚かで可哀想なカモだと思っている。日本人はしばしば「職業に貴賎なし」という文言を口にするが、私は職業には貴賎があると思う。他人を幸せにする仕事がある一方で、他人を不幸にしてしまう仕事がある。他人を不幸に陥れる仕事は、やはり卑しい仕事だと思う。収入が多少よいからという理由で、他人を騙したり、貶めたりする仕事はやめるべきである。やはり仕事というのは、自分の労働の報酬として客の満足した笑顔を見ることと心得るべきだと思う。「職業に貴賎なし」という文言は、自己を犠牲にしてまで他人の命を救おうと、社会のために貢献しようとしている多くの人々を、泥棒や詐欺師と一緒にするようなものである。

パチンコを廃止すれば、日本は必ず再生する。
日本の国の税収は36兆円、そしてパチンコの市場規模は23兆円(数年前まで30兆円を超えていた)。1年間にパチンコに23兆円という膨大な金が湯水のように流れている。パチンコをやる人は、パチンコやるはずのお金で、新しい車を買えばいい。ちょっとおしゃれな服や靴を買えばいい。家族や彼女と普段は行くことのないレストランで食事すればいいと思う。パチンコに流れる23兆円という膨大な金が動くことで、顕著な経済効果をもたらす。新たな需要が喚起され、そこに新しいマーケットが出現し、新しい産業が起こり、雇用を生む。ちなみに日本の自動車産業は約44兆円だそうだ。全国からパチンコ店が無くなれば、日本は必ず再生に成功する。

追記 - 2011年4月20日

津波よ、我欲の塊・パチンコを一気に洗い流せ。
震災から3日後の3月14日に記者会見した石原慎太郎氏の「津波で我欲洗い落とせ・・・天罰だと思う」との発言。多くのマスコミ、特に朝日や毎日などの反日マスコミを中心に、石原氏の「天罰・・・」の言葉尻を捉え、ここぞとばかりに、石原氏があたかも「被災者が津波にあって亡くなったのは天罰だった」と発言したかのように印象を操作する報道を行った。それに煽られた情報に対してフィルターを持たない多くの人々が異口同音に「天罰なんて酷い、不謹慎だ、被災者は天罰で死んだのではない」と石原氏を批難した。それじゃあ、石原氏のこの天罰発言を批難した人々は何をしていたかというと、食料が無くなると聞くや、普段は口にもしないようなカップラーメンを大量にカゴに入れ、スーパーのレジに並び、水道水にわずかでも放射能が検知されると、ミネラルウォーターのペットボトルを買占めに走る・・・なんとも浅ましい。テレビの画面で被災者の悲惨な現状を見ては、ネットの掲示板に「泣けてくる~(´;ω;`)」などと書き込みながら、次の瞬間、スーパーで食料買占めで己の我欲をむき出しにする。いまの日本人にはプライドも人間としての尊厳の欠片さえもない。餓鬼道に落ちてしまった亡者たちの姿だ。石原氏の言うところの天罰は、日本人にひとりひとりに降されたのだと思う。

レジャー白書2009によると、パチンコの遊戯人口は1700万人以上とされ、ひとりあたり年間20回以上パチンコ店に通い、1年間で12万円以上を使ったとされている。この情報はあくまで「平均」であり、パチンコ店に嵌った客、付き合いでパチンコ店にちょっと寄っただけの客、それらを合わせて割って平均を求めただけの数字だ。これはレジャー白書にはない情報だが、パチンコ店側の情報によると、役所での生活保護費の支給日や年給支給日となると、その日は他の日に比べてパチンコ店の売上げが著しく伸びるそうだ。つまり言うまでもなく、これは生活保護費を受けるだけの低所得者が生活保護費を握ってパチンコに通っていることを示している。自分で働いて得た金ではなく、生活に困窮している者へ支給される公の福祉の金、つまり税金がパチンコに使われているという現実。そして、この少ない手持ちの金=生活保護費を射幸心に駆られて何倍かに増やそうと、絶対に勝ち目の無いパチンコに湯水のように注ぎ込まれている・・・これぞ我欲、これぞ餓鬼の世界だ。こんな哀れな日本の姿こそ本当の天罰だと思う。

政権にしがみつく我欲の菅直人

参考までに-石原知事「津波で我欲洗い落とせ」「天罰だ」の真相
2011.3.14 21:37 東京都の石原慎太郎知事は14日、東日本大震災への国民の対応について記者団に問われ、「我欲で縛られた政治もポピュリズムでやっている。それを一気に押し流す。津波をうまく利用して、我欲をやっぱり一回洗い落とす必要がある。積年にたまった日本人のあかをね。やっぱり天罰だと思う。被災者の方々はかわいそうですよ」と述べた。知事は一連の発言の前に、持論を展開して「日本人のアイデンティティーは我欲になっちゃった。アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等だ。日本はそんなもんない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と語っていた。同日、この後に開いた記者会見で「天罰」の意味について「日本に対する天罰だ」と釈明。「大きな反省の一つのよすがになるんじゃないか。それしなかったら犠牲者たちは浮かばれない」と話した。
MSN産経ニュース” target=”_blank”>http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110314/lcl11031421380004-n1.htm”>

やめたいけど、やめられない-パチンコ依存症
女性専用車両-社会に注入された猛毒

日本人とは何か(1)
日本人とは何か(2) 

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Yasukuni Shrine – 3 what did they die for? August 13, 2010

Posted by TAMAGAWABOAT in Blogroll, History, Japan, Japanese, Nanking Massacre, Rape of Nanking, WW2, Yasukuni.
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I watched a YouTube’s video that a Canadian named Pierre Pariseau said rude words against Tamogami Toshio (the former COS of Air Self-Defense Force ) and made a small trouble in Yasukuni Shrine on August 15th last year,  the 64th anniversary of the end of the Pacific War (=the Greater East Asian War).  Pierre Pariseau suddenly and provocatively said to Tamogami Toshio who finished his speech and was being interviewed by a cable television, “You would be arrested for unconstitutional if you were German. What do you think?”  A few Japanese, who were listening to Tamogami’s speech,  got angry at Pariseau’s rude words against Tamogami. 

I understand why these Japanese got angry with Pariseau. But I was a little disappointed at behaviors of these Japanese to shout furiously at this Canadian.  They should understand that this Canadian said rude words to Tamogami deliberately as a provocation and they responded to his provocation as he had expected.  We Japanese should understand that over 9 out of 10 westerners living in Japan have the same ideas about Yasukuni issue or Tamogami’s controversial essay as this Canadian.  Pierre Pariseau has written negative articles about Yasukuni Shrine for ‘The Japan Times’ two or three times.  The people who got angry with Pierre Pariseau should recognize almost westerners, especially the Allies’(America, Britain, Australia and so on.) people have stereotype that they Allies fought against inhuman Fascism states 65 years ago and liberated the people from it.  Therefore, if the person who denies or argues against the Allies’ historical perspective appears in front of them, they routinely try to label him/her as historical revisionist like Pavlov’s conditioned reflex. The word ‘Uyoku (Right Wing) ‘ is the term applied in place of ‘historical revisionist’ in Japan by foreign press. Almost westerners who try to label him/her as historical revisionist or Uyoku don’t want to debate on history with him/her from the beginning.  So Pierre Pariseau intentionally had a shit-eating grin on his face after saying a rude word against Tamogami and this Canadian hurried away from Yasukuni Shrine. It is obvious that the goal of this Canadian was only provocation against the Japanese intending to make them angry.

Actually, I too had the similar stereotype about Yasukuni Shrine to Pierre Pariseau until just a few years ago. It was 6 years ago that I visited Yasukuni Shrine for the first time.  Before visiting Yasukuni’s Yushukan (military and war museum),  I too thought that Yasukuni was Militarist Shrine.  I had a lot of negative image of Yauskuni such as black vehicles right-wing campaigners making poisonous and intense noises.  However,  I entered Yushukan and stood in front of over 6000 portraits who died in the war,  and as I read each and every one of farewell notes that so many people’s left,  I found ‘the true human dignity’ in farewell notes and understood what they died for.

What do you think they died for? I suppose you will answer “For the Emperor (Tenno)!” if you have the above-mentioned stereotype.  There are so many farewell notes to their families. These farewell notes speak to you why they fought at the risk of their lives and what they desperately tried to protect  They had things that are worth risking their lives! They had things that are worth giving their lives! Their wives,  their daughters,  their sons,  their mothers and their hometowns.  Even if they shouted,  “Tenno Heika Banzai! and died at the front,  their hearts were always with their families until the last moment of their lives.  More important for us,  these farewell notes speak to us that they entrusted Japan to future generations and died. Who are future generations that they entrusted ‘Japan’ to?  Naturally, we can never ignore the last wishes of the people who sacrificed their lives for Japan.  However,  if the people who died for Japan in the war see the reality of today’s Japan,  if they see the emotionally-disturbed society such as children kill their parents or corrupt politicians get hooked on women and money,  I’m sure they would be disappointed and lament over today’s Japan.  It is consequence of 65 years that the Japanese people have been turning their back on Yasukuni Shrine since the end of the war.  I realized I had been thankless Japanese when I read farewell notes at Yasukuni.

As you may know,  it has become controversial whether voting rights should be given to permanent foreign residents or not in Japan’s political world.  I would like to propose that the Japanese government should give voting rights to 2,466,532 people who are enshrined as ‘spirits of the war dead’ at Yasukuni first,  prior to giving voting rights to foreign residents who came to Japan by their own self-interest.  We must never forget that 2,466,532 people died for Japan and entrusted Japan’s future to us who live in the present.  The 65th anniversary of the end of the Greater East Asia war will come soon.

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Yasukuni Shrine – 1
Yasukuni Shrine – 2
靖国神社-彼らは何のために死んだのか?

 

 

Hiroshima, Nagasaki and Pearl Harbor August 7, 2010

Posted by TAMAGAWABOAT in B-29, Blogroll, History, Japan, Japanese, Nanking Massacre, Rape of Nanking, WW2, Yasukuni.
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65 years ago today, for the first time in the history of humankind, the nuclear weapon was used against innocent civilians by America.  65 years ago today was Monday. At 1:30 am, early on Monday morning, August 6th in 1945, America’s B-29 bomber, the Enola Gay left Tinian Island in the western Pacific. At 8:05 am, the Enola Gay reached the sky over Hiroshima. 10 minutes later, at 8:15 am, the Enola Gay dropped the world’s first atomic bomb on the center of Hiroshima which had a population of 350,000.

We should focus attention on the day and time when America dropped the atomic bomb. 8:15 am. and Monday morning… Why did the Enola Gay carry out the world’s first atomic bombing at 8:15 a.m.? Why did the Enola Gay drop the atomic bomb on Monday morning? American Army knew Japanese schools held morning meetings on Monday morning. 8:15 on Monday was the time that schools started morning meetings. American Army knew school children would round up in schoolyards for morning meetings at 8:15 am. Therefore, American Army set the time of dropping the world’s first atomic bomb at 8:15 am, on Monday, August 6th. For what? To kill Japanese school children efficiently and to crush all hope in Japan’s future. As a result of America’s atomic bombing, 140,000 people out of 350,000 citizens of then Hiroshima died. Most of 140,000 people were children, women and elderly people. They suffered and suffered, and died in great agony. It is obvious that America carried out genocide against the Japanese people on the pretext of ending the war.

Only 3 days after the atomic bombing on Hiroshima, the world’s second atomic bomb caused the further humanitarian tragedy for innocent civilians of Nagasaki. American Army dropped new type of atomic bomb different from the bomb that they dropped on Hiroshima 3 days ago. 70,000 people out of 240,000 citizens of then Nagasaki died. While American Army dropped ‘uranium-type bomb’ on Hiroshima, they dropped ‘plutonium-type bomb’ on Nagasaki. America succeeded in developing two different types of atomic bombs. America carried out the experiment of two different types of atomic bombs on hundreds of thousands living human bodies in the confusion just before the end of the war.

Some people, especially Americans say, “The atomic bombings of Nagasaki and Hiroshima ended the war. These two atomic bombs saved millions of lives that would have been lost through a long lasting war.” This is delusive sophistry to justify America’s hideous crime against humanity. 

The people who believe that these two atomic bombs ended the war should recognize that America prolonged the war intending to drop atomic bombs on Japanese cities by presenting unacceptable terms of surrender against Japan. The people who believe that these two atomic bombs ended the war should recognize that there are rules even during wartime. America’s atomic bombing obviously violated the Hague Convention that prohibited attacks on civilians. The people who believe that these two atomic bombs ended the war should recognize that there are many people who still suffer atomic-bomb disease now, 65 years after the war. The people who believe that these two atomic bombs ended the war should recognize that there are the people who are called “children of atomic-bomb victims”. Why they who have no relationship with the war 65 years ago have to suffer atomic-bomb disease?

Atomic bombing is the worst war crime against humanity in human history. But American Presidents have never once visited Hiroshima or Nagasaki. No more Hiroshima, No more Nagasaki. Pearl Harbor once again!

August 6, 2010
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Yasukuni Shrine – 1

65年前の今日、人類史上はじめて、アメリカによって核兵器が一般市民に使用されました。65年前の今日、1945年8月6日、月曜日早朝の午前1時30分、アメリカのB29爆撃機、エノラゲイは西太平洋上のテニアン島を飛び立ちました。。午前8時05分、エノラゲイは広島上空に到達、その10分後の8時15分、エノラゲイは35万人の人口を持つ広島の中心部に、世界ではじめての原子爆弾を投下しました。

私たちは、アメリカが原爆を投下した曜日と時刻に着目すべきです。8時15分、そして月曜日であったことを。なぜエノラゲイは8時15分に、世界最初の原爆を投下したのか?なぜエノラゲイは月曜日に原爆を投下したのか?を。アメリカ陸軍は、日本の学校が月曜日の朝に朝礼を行うのを知っていました。月曜日の8時15分という時刻は、学校が朝礼を始める時刻です。アメリカ陸軍は、午前8時15分には、生徒たちが朝礼のために校庭に出ることを知っていたのです。それゆえに、アメリカ陸軍は、世界最初の原爆投下時刻を8月6日月曜日の午前8時15分に設定したのでした。なんのためか?効率よく日本の子供たちを殺すためです。そして、日本の将来への望みを打ち砕くためでした。

アメリカの原爆投下の結果、当時の広島市民35万人のうち14万人が死にました。14万人のほとんどが子供たちであり、女性であり、お年寄りの人たちでした。彼らは苦しんで苦しんで、もがきながら死んでいきました。アメリカが、戦争終結を口実として、日本人を大量虐殺したことは明白なのです。

広島への原爆投下からわずか3日後、史上2番目の原爆が長崎の一般市民に対してさらなる非人道的な惨劇をもたらしました。アメリカ陸軍は3日前に広島に投下した爆弾とは異なった新型の原爆を投下したのです。当時の長崎の24万人の市民のうち7万人が亡くなりました。アメリカ陸軍は広島にウラン型原爆を投下する一方で、長崎にはプルトニウム型原爆を投下したのです。アメリカは2つの異なるタイプの原爆の開発に成功していたのです。アメリカは、終戦間際のどさくさに紛れて、数十万人の生きた人間に対して、この異なる2つのタイプの原子爆弾の人体実験を行ったのです。

ある人たちは言います。特にアメリカ人が言います。「広島・長崎への原爆投下が戦争を終わらせたのだ。この2つの原爆が、長引く戦争で亡くなったであろう数百万人の生命を救ったのだ」と。これは、アメリカの身の毛もよだつほど残忍で非人道的な犯罪を正当化するための欺瞞に満ちた詭弁なのです。

2つの原爆が戦争を終結させたと信じる人々は、アメリカが原爆を日本の都市に投下する目的で、故意に日本に受け入れ難い降伏条件を突きつけ、戦争を長引かせたことを理解すべきです。2つの原爆が戦争を終結させたと信じる人々は、戦時下においてさえ、守るべきルールが存在することを知るべきです。アメリカの原爆投下は明らかに、一般市民への攻撃を禁じたハーグ条約に違反します。2つの原爆が戦争を終結させたと信じる人々は、終戦から65年経った今なお、たくさんの人々が原爆症に苦しんでいることを知るべきです。2つの原爆が戦争を終結させたと信じる人々は、被爆2世と呼ばれる人々がいることを知るべきです。65年前の戦争とは関係のない彼らが、なぜ原爆症で苦しまなければならないのでしょうか。

原爆投下は、人類史上最悪の非人道的犯罪です。しかし、アメリカ大統領は一度たりとも広島や長崎を訪ねてはいません。ノーモア・ヒロシマ、ノーモア、ナガサキ。パールハーバー、ワンスアゲイン!

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シーシェパード制作の「ザ・コーヴ」に表現の自由を認めない June 9, 2010

Posted by TAMAGAWABOAT in Blogroll, Japan, Japan Bashing, Japanese, racism, whaling.
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2010年6月8日、映画「ザ・コーヴ」が市民団体の抗議を受けて一部の映画館で上映中止となったことについて、ジャーナリストや映画監督ら55人が8日までに反対の緊急アピールを発表し、配給会社や映画館に送付したというニュースが流れました。つきましては、以下は私からの彼ら(上映中止に反対する知識人たち)に対する反論です。

テロリストの作った映画に表現の自由を認めてはならない。-毎年冬になると、南氷洋において日本の調査捕鯨船団に対し繰り返し妨害を行う自称・環境保護団体シーシェパード。日本の捕鯨船に酪酸の入ったビンを投げ入れたり、危険なレーザー光線の照射、捕鯨船のスクリューにロープを巻きつけようとしたり日本船を沈没させようとするなど、シーシェパードの行為は嫌がらせのレベルをはるかに超えた国際海洋法に違反する犯罪であり許しがたいテロ行為です。映画「ザ・コーヴ」は、この悪名高いテロ集団・シーシェパードがプロデュースした反捕鯨を標榜するプロパガンダ映画です。監督であるルイ・シホヨスおよび映画に登場する元イルカ調教師のリチャード・オバリーの2人は、元シーシェパード・メンバーであり、この映画の本当の企画・制作者は、シーシェパード代表のポール・ワトソンなのです。しかしながら、日本ではその事実があまり知られていないようです。さらには、「ザ・コーヴ」をプロモートする配給会社含め評論家も、シーシェパードの関与については、なぜか堅く口を閉ざしたままです。

「ザ・コーヴ」はシーシェパードが作った危険なトロイの木馬です。-ぜひ、シーシェパードのウェッブサイトwww.seashepherd.orgを覗いてみてください。英語のページには、03年9月、シーシェパードが「イルカ・キャンペーン」と称し和歌山県太地町のイルカ漁の網を切断する事件を起こしたことが明記され、メンバー2人が警察に23日間拘留されたとあります。その際、同行していたのが、当時シーシェパードのメンバーだったリチャード・オバリーです。一方、ルイ・シホヨスは、05年に「海洋保全協会」(Oceanic Preservation Society, OPS)という団体を設立、映画「ザ・コーヴ」はこの団体の提供とのクレジットが付されていますが、この「海洋保全協会」のウェッブサイトのパートナーズにシーシェパードへのリンクがあります。さらに決定的なことには、映画「ザ・コーヴ」制作の基礎を築いたのはシーシェパード自身であり、リチャード・オバリーが太地町に出入りするためにシーシェパードを辞め、この映画の計画を暖めた後の07年にルイ・シホヨスが監督になったとシーシェパード自ら明記しています。時間は若干遡りますが、04年9月、シーシェパードは当サイトを通じ、太地町でのイルカ漁の映像とスチール写真について償金付きの公募を行っています。ビデオ映像1分につき500ドル、写真1枚につき250ドル支払うとありました。映画「ザ・コーヴ」がドキュメンタリーかプロパガンダかといったことを議論する以前に、この映画自体、シーシェパードが日本にしかけた精神テロであり、「表現の自由」を声高に叫ぶ者たちを巧みに利用し、彼らにその綱を引かせ日本人の精神構造の中へと密かに入城させようとする危険な「トロイの木馬」なのです。

「ザ・コーヴ」は日本人に対する人種ハラスメント映画です。-あなたのご自宅から最も近い食肉加工センターをご存知ですか?ご存知でなければ、一度、ネットで検索をしてみてください。食肉加工センター、いわゆる「屠殺場」の一番はじめの工程において、毎日どんな作業が行われているか、ぜひ見学してみてください。(しかしながら、他の工程は見学できても、この工程だけはなかなか見学させてもらえませんが) その一番はじめの工程では、後足を縛られ天井から逆さ吊りにされた牛たちが、前足をバタバタとさせながら工程ラインを次々に流れてゆきます。このラインの中ほどで、職人たちが大きなナタで牛の首を切り裂いています。ナタが振られた瞬間、牛は断末魔の悲痛な叫び声をあげます。急所を外された牛は激痛のあまりモガいています。そして、本当に「涙」を流すのです。そんな場面において、もし仮に、牛を映していたカメラが職人のほうへ向けられ、その顔が大きくアップで捉えられたとしたら・・・。そんな映像、いったい誰が許すのでしょうか(怒)。「表現の自由?知る権利の侵害?ふざけるな!」と思いっきり大声で怒鳴りつけたい気持ちになります。「表現の自由」とか「知る権利の侵害」とかにこじつけて、なんとかして「ザ・コーヴ」の国内での上映を実現させたいとする連中は、いったい誰のお陰で毎日、朝昼晩、飯を食べることができるのか、分かっちゃいないのです。屠殺場において生き物を締めて殺す仕事、この神聖な仕事があってこそ、人間社会は成り立ってきました。ですから、日本のみならず、世界どこの国においても、この領域は「アンタッチャブルな領域」と呼ばれてきたのです。そんな「わきまえ」もなく、昼飯にカツ丼を食ったその口から、ゲップ混じりに「表現の自由だ」「知る権利の侵害だ」といった発言がでてくる映画作家やジャーナリスト。なんて知恵遅れの連中かと驚きます。

「ザ・コーヴ」は、そうした「アンタッチャブルな領域」に密かにカメラを持ち込み隠し撮りを行い、そして世界に公開しました。「ザ・コーヴ」のクライマックス、イルカ漁で真っ赤に染まった入り江、銛を何度もイルカに突き刺すシーン、日本人の形相・・・。アメリカやオーストラリアの屠殺場で、牛の首をナタで切り裂く仕事をやっている人の顔をアップで映画に使えると思いますか?当然、使えませんよね。でも「ザ・コーヴ」では、イルカを銛で突く日本人漁師を撮影し、躊躇なく世界に公開している。それらの映像の中に、映画スタッフが故意に漁師たちを何度も挑発し、キレた漁師がカメラに向かって怒鳴っている表情をここぞとばかり撮影し、彼らを「マフィア」とまで呼んでいます。本当に卑怯な映画だとは思いませんか?本来ならば、そうしたシーンは「人権」に十分に配慮すべきところですが、この映画には何らその形跡が見えない。それどころか、より憎々しく見せようとする意図さえうかがえます。つまり、この映画は、世界に向かって日本人に対する不当な偏見や憎悪を撒き散らそうとするプロパガンダ、すなわち「反日プロパガンダ映画」なのです。

白人至上主義の白人らは、対象が同じ白人であれば、その相手の人権を尊重しますが、いざ相手が日本人となると、どうやら何をしても許されると思う傾向があるようです。シーシェパードが日本の捕鯨船に向かって投げつける酪酸の入ったガラス瓶。その瓶が粉々になった実物を、私は、今年5月27日、30日の2回、東京地裁の傍聴席で見ました。元シーシェパードのメンバー、ピーター・ベスーンの裁判にてです。検察側が ビニールに入った瓶の欠片を掲げると、法廷の中に強い「糞尿」の悪臭が漂いました。この極めて強い悪臭を持つ液体は、いったん服に付着すると、洗剤で何度洗っても取れないそうです。検察はベスーン被告に問いました。「このようなものを人に向かって投げつけてもよいと思いますか?」 ベスーンは答えました。「酪酸は人体に無害と聞いています」と。こうした白人は、日本人のことを「自分と同じ人間」だとは思ってはいないようです。きわめて悲しいことですが。

映画館は弱者ではありません。そうした印象操作が意図的に行われたのです。-私は独自に、「ザ・コーヴ」の上映を決めた映画館23館(6/21現在)のうち映画館8館(北海道・北陸・上信越・中国・四国・九州)の代表者の方に電話でインタビューを行いました。私が訊ねた質問は、(1)この映画を上映しようと決めた動機、(2)08年の映画「YASUKUNI」は上映したか否か、(3)この映画上映についての映画館への抗議の電話や街宣があったか無かったか、の3点でした。その結果、たいへん面白いことが分かりました。8館の映画館のすべてが、2年前の08年に映画「YASUKUNI」を上映しており、みな一同に口を揃えて「2年前のYASUKUNIは当たった」「たくさんのお客さんが入った」「興行的に大成功した」と回答され、そして今回の「ザ・コーヴ」の感想については、やはり8館ともに同じような回答で、それを要約すると、「映画の内容については不快。あまり良い映画だとは思わないが、実際に映画を観たいという客がいるのだから、上映する場を提供するのが映画館の社会的な責務だ」とお答えいただきました。さらに、「映画上映について抗議の電話や街宣の活動などありましたか?」と訊ねると、8館のうち、1館を除いて他すべてが「東京のほうは抗議で大変らしいが、幸いなことに、こちらのほうでは抗議の電話はほとんどない。むしろ、がんばって上映してくれとか、応援していますといった励ましの電話を複数いただいている」と回答されました。これらの回答を解釈するならば、映画「ザ・コーヴ」の上映は、映画館にとっての興行的な成功は予め担保されており、今回の映画も2年前の「YASUKUNI」の時と同じくらい「たくさんの客の入り」が期待できること、それが今回、映画館が「ザ・コーヴ」上映を決定した最大の理由であることが分かりました。つまり、上映を決定した映画館の実態は、「表現の自由を守る」という崇高な理想を掲げて立ち上がった映画館でもなく、右翼の圧力に晒されながらもじっと耐え忍んでいる弱者としての映画館でもない、また、「ザ・コーヴ」という映画に惚れ込んだわけでもないことが分かりました。ただただ金勘定、映画「YASUKUNI 」に次ぐ2匹目のドジョウを映画館は狙っているに過ぎません。しかし実際には、マスメディアを通じて、「右翼の圧力によって、泣く泣く上映中止に追い込まれている弱者としての映画館」といったイメージが急速に形成されていったのです。

本当に守られるべきは、「表現の自由」ではありません。-映画館は、「ザ・コーヴ」が上映できなければ経営に行き詰るというわけでは全くありません。映画館には「ザ・コーヴ」以外にもいろんな上映できる素材を選択することができるからです。映画館は、市民グループから「上映を中止しろ」と抗議を受けても「廃業しろ」とは要求されてはいません。しかし、「ザ・コーヴ」は、和歌山県太地町の人々に「イルカ漁をやめろ!」と訴え、「みんなでこの残酷なイルカ漁を止めさせよう」と観客の感情に訴えています。シーシェパードが企画・制作したこの映画は、太地町の漁師たちの人権を著しく侵害するだけなく、生活を維持するための生業(なりわい)そのものを奪おうとしています。太地町の人々の「生存権」が脅かされているのです。江戸時代初期までその歴史を遡ることのできる古式捕鯨発祥の地・和歌山県太地町。この町の人口は、捕鯨が盛んだった80年代初めには5千人近くいましたが、80年代後半に商業捕鯨が禁止されると、人口も徐々に減ってゆき、09年現在で3千2百人ほどになってしまいました。いまや捕獲数量が厳しく制限された枠の中で、ゴンドウクジラなどの小型の沿岸捕鯨とイルカの追い込み漁だけが行われているのです。その残された太地町のイルカ漁も、ここ数年来、シーシェパードをはじめとする環境保護団体に、毎年、執拗に妨害されてきました。09年に制作されたドキュメンタリー「太陽の町、黒潮と鯨と」(原題:Town of Sun, the Black Tide and Whales 米09年制作)というわずか17分の短い映画があります。この映画はYouTubeなどの動画サイトでご覧になれますので、ぜひ興味のある方は検索してみてください。(ご希望の方は英語タイトルにリンクされていますのでをクリックしてください)映画では、太地町の人がひとりずつ「太地町と鯨」についてのインタビューに静かに答えており、短いながらもよくまとまった作品です。その中で、太地町教育委員会の北洋司氏は次のように語っています。「太地町には、(イルカ漁の)シーズンになると、幾つかのグループがやって来て(漁師に対して)挑発行為をします。しかし、漁師は彼らの挑発に乗ってしまったら、もうお仕舞なのです。どんなに腹が立とうが絶対に挑発には乗るな、と我々は漁師に話しています。しかし人間だからどうしたってキレる時もでてきます。そんな時は、公権力である警察とか海上保安庁によって、傍若無人な行為をやっている人達を抑えてもらうしかないのです。常に『太地の人間からは絶対に手を出すな』と言っていますが、若い人たちには、無性に我慢できない時が当然ながらでてきます。だから、精神的な高揚を持続していくしかないのです。彼等(シーシェパード)はそれをよく分かっているからこそ、余計にそこへ手を突っ込もうとするんです。精神文化どうしのぶつかり合いならまだ何かしら方法があります。しかし、彼らには理解しようという意識はさらさら無いのです。そして、彼らにとって、それ(イルカ漁への妨害)がすでにビジネスになってしまっています。これは、彼らのビジネスと我々の歴史文化および精神文化との戦いなのです」と。03年9月に、シーシェパードは「イルカ・キャンペーン」と称してリチャード・オバリーほか数名のメンバーを太地町に送り、イルカを囲い込んでいる網を切断、メンバー2名が警察に逮捕される事件を起こしました。以来、毎年秋になると、彼らは映画の撮影スタッフと一緒に太地町にやってきて、漁師たちに挑発行為と嫌がらせを繰り返してきたのです。そのシーシェパードによる太地町の人々に対する嫌がらせの記録、それが映画「ザ・コーヴ」なのです。「ザ・コーヴ」上映をめぐる問題において、本当に守られるべきもの、それは「表現の自由」や「映画館の売上げや興行的成功」ではありません。本当に守られるべきは、南紀にある人口3千2百人の小さな漁村、太地町の人々の「ささやかな暮らし」なのです。

とことん騙してやろうという映画、それが「ザ・コーヴ」です。-いずれの映画においても、世間の注目度をいかにして高めるか、プロモーターはさまざまな仕掛けや策略をめぐらします。市民グループの上映中止を求める街宣活動を見たプロモーターは、この「ザ・コーヴ」においても2年前の映画「YASUKUNI」と似たような状況が作れると判断しました。プロモーターは、この市民グループが掲げる日の丸と拡声器でがなり立てる光景が、多くの人々の心の中にある「街宣右翼」に対するアレルギーを刺激し、彼らの主張とは逆の方向へ誘導できるはずだと確信したのです。そして、上映中止に追い込まれていく映画館を「弱者」に仕立て上げ、「右翼の圧力に苦しむ映画館」を応援していこうというキャンペーンを行いました。「表現の自由」という錦の御旗を掲げ、マスメディアを総動員し、日弁連、日本ペンクラブが続きました。再び2年前の「YASUKUNI」の再現です。しかし、この作戦は短期的にしか通用しません。おそらく1~2ヶ月後、踊らされた人々、動員された各連合会、マスメディアも含めて「好い面の皮だったよ」と自嘲すると思います。というのは、プロモーターが隠してきた「ある重要な情報」がすでに広まりつつあるからです。それが「ザ・コーヴはシーシェパードの企画制作によるプロパガンダ」です。プロモーターは言います。「映画を観てから堂々と議論しょう」と。きちんとした議論を行うためは、まずは必要不可欠かつ正確なバックグラウンドをきちんと伝えるのが、「議論をしよう」と呼びかける者の本来の姿勢ではないでしょうか。しかしながら、どこまでもこの情報を隠そうとするのです。撮影の手法が「騙し」なら、プロモートの手法も「騙し」です。何から何まで卑怯・卑劣、それが映画「ザ・コーヴ」の本質なのです。                  

なお、シーシェパードと映画「ザ・コーヴ」についての密接な関係を調査していただいたMr.Hさんと彼のお友達に深く感謝します。
Mr.Hさんお友達ブログ(在米) http://redfox2667.blog111.fc2.com/blog-entry-227.html

※上記内容を両面印刷のチラシとしてご利用いただければと思い、pdfファイルを用意しました。A4×4ページまたはA3×2ページ(A3の両面印刷で1枚のチラシが完成します)でご利用いただけます。大至急、拡散にご協力いただければ幸甚です。sea_shepherds_cove_0703revised (PDFファイル985KB)

追記 -2010年6月12日

6月9日(木)に創出版(代表・篠田博之氏)主催の映画「ザ・コーヴ」上映とシンポジウム(中野ゼロホール)に行ってきた。私が中野ゼロホールに到着したのが18時5分ほど前。開場は18時20分からにもかかわらず、すでに開場を待つ人たちの列が3つほどできており、しかも誘導の人がいないため、どこが最後尾かわからない状況だった。しかしながら、皆静かに列に並ぶ姿に、私は「ある種の秩序」を感じ、このシンポジウムにやってきた人たちのレベルの高さを感じた。この人たちだったら、理解していただけるだろう・・・私が持参したチラシの内容を、と思った。

早速、私は、開場を待つ人々の列にチラシを配り始めた。予め350枚用意したチラシは開場までの約20分間で、その配布をすべて終え、それでも足りなかったのでコンビにで30枚ほどコピーをした。主催者側によると、前売り券を持ってた方550人、キャンセル待ち約100人、合計650人だったので、約6割近くの人が、私が用意したチラシを受け取ってもらったことになる。皆さん、開場待ちで手持ち無沙汰ということもあってか、チラシをじっと読む方も多く、私のチラシに対する反論としての意思表示をされた方も3名(男性2名、女性1名)いた。開場後は、コンビ二でコピーしたチラシをメディアとシンポジウムのパネラーの方々を中心に配った。

私が会場の階段付近で、会場に走りこんでくるメディアの方々にチラシを配っているとこへ当シンポジウムの主催者・篠田博之氏がやってきてきて「あなたは主権回復の会員なのですか?」と訊ねてきた。「いいえ、会主催の街宣にはときどきは参加はしますが会員ではありません。そもそもあの会の会員が誰だか存じてませんが」と答えると、「チラシを配るのであれば、主催者側の了解をとるべきではないかと思うけど」と言うので、私はわざとポー(はあ?という感じ)ととぼけたフリをしていると、「まあ、それはあなたの表現の自由だから何も言えないけど、それにしても、このチラシの中の<表現の自由を認めてはならない>というのはやめてもらえないかなあ」と篠田氏。私は「シーシェパードというテロリスト集団が作ったプロパガンダ映画に表現の自由を認めてはならないと主張しているんですよ。ここ10年間のスローガンは<テロに屈しちゃいけない>でしょ?」、すると篠田氏は「シーシェパードが関与している話については、大体の事は知っているけど」と返したので、「ご存知であれば、この映画を紹介する際に、この映画とシーシェパードとの関係をきちんとインフォームするのがジャーナリストの責任じゃないのですか?それを晒したうえで、皆でこの映画について討論する。それでこそシンポジウムでは?」というと、シーシェパードの話題はあまりしたくないらしく、そそくさに去った。つまり、篠田氏はこの映画の急所を知っていながら、それを隠しているに過ぎないのである。彼は最初からジャーナリストとしての立場を放棄している。篠田氏はジャーナリストでもなんでもない、ただの映画「ザ・コーヴ」のプロモーター(販売促進係)として見ていたほうがよい。

その後すぐに、私の前に森達也氏がやってきた。「このチラシの、シーシェパードって本当なの?」と私に訊ねてきた。(何度かこの映画について発言してきた森氏が知らなかったというのがちょっと驚きだった)「本当ですよ。シーシェパード自身のホームページにそう書いてあります」と答えると、すると「ふーん、でもシーシェパードって、人種差別を目的にやっているわけじゃないでしょ。だってノルウェーの捕鯨船もシーシェパードに沈没させられてんだし・・・」と言った。私は『いったいシーシェパードの何時の時代の話をしているんだろう?シーシェパードがスペインやアイスランド、ノルウェーの船を標的にしていたのは80年代~90年代。この人はそのことを理解したうえで話をしているのだろうか?ひょっとして、かなりオメデタイ人じゃないだろうか』と思って、「ああ、そうですか」と笑いながら答えた。組織というのは「金」になるほうに転がっていく。シーシェパードのアニマル・プラネット(ケーブルテレビ)の「Whale Wars」は2008年11月に始まった。以来、アニマル・プラネットの目玉番組となった。その背景には「シーシェパードが戦っている相手は肌の色の違う東洋人」ってことがどこまでわかっているのだろうか?さらには、シーシェパードは、和歌山県太地町と姉妹都市関係にあるオーストラリア北西部のブルーム(Bloom)という人口1万5千人もの小さな町で、「ザ・コーヴ」の上映会を行い、日本人や太地町に憎悪を抱いたブルーム市民によって、日本人墓地(ブルームは明治期から真珠の町として、太地町出身の多くの日本人が潜水夫として移住してきた)において900基あった墓石のうち約200基がいたずらを受けたほか、町の議会において、太地町との姉妹都市提携・解消決議案も出された。つまり、シーシェパードが制作した「ザ・コーヴ」という映画は、シーシェパードの意図したとおり、日本人への不当な偏見や憎悪を煽ることに十分な効果を発揮していることを示しているのだ。もう一度ここで繰り返し言う。「ザ・コーヴ」は反日プロパガンダと断言して何ら問題ない。

そして最後に、鈴木邦男氏。この人とはシンポジウム終了後に一言だけ、私のほうから投げかけた。私はシンポジウム終了後のメディア関係がごった返えす舞台にあがって、鈴木氏に声をかけた。「鈴木さん! 鈴木さんは(映画を)一度見てから判断してくださいと言われましたが、その論理、もし仮に、私が新興宗教かマルチ商法の人間で『この宗教を非難する前に、一度でいいから集会か座談会に来てください』と言ったらどうします?来ていただけますか?宗教やマルチ商法に洗脳のメカニズムがあるように、プロパガンダにも洗脳のメカニズムがあるんですよ」と言うと、鈴木氏はムキになって「いや、違うね!」と一言だけ吐き捨てるように言った後、控えのほうへ急いで去っていった。この鈴木邦男という人、ある種の腐臭が漂う。

追記 -2010年6月14日

表現の自由とは何か?-「ザ・コーヴ」の上映を求める人たちが「表現の自由を守れ」という言葉を使っているが、私は彼らがこの言葉を使うたびに「プッ、なんとも薄っぺらな、安っぽい表現の自由だな」と思う。たった20人か30人ほどの草の根の市民団体、交通費も食事代も自前の完全ボランティア。その人たちが街角で「ザ・コーヴの上映中止を求める」街宣を行ったり、映画館に電話をかけ「上映を中止しろ!」と抗議を行った結果、映画館が彼らの圧力に屈して上映中止の決定を行った(?)。本当にお笑い草だ。な、なんだ、この表現の自由の軽さは、このチープさは!これが本当だとしたら、表現の自由を高く掲げてるわりには、あまりのへタレさに驚く。こうした連中は、北京の天安門広場でチベット国旗を手に持って「FREE TIBET!」と叫びながら50メートルをぜひ駆け抜けてきてほしい。その瞬間、きっと「表現の自由の尊さ」を感じることができることだろう。

「表現の自由」を弾圧するのは、公的な権力や巨大な権力・組織であり、20人か30人ほどの草の根の市民グループの抗議ではない。本当に「表現の自由」を弾圧するのは国家であり、そして都合の悪い「表現の自由」を圧殺するのがマスメディアである。そして、「表現の自由」を保障するのも、また公的な権力であり、草の根の市民グループにも当然ながら「表現の自由」が保障されているのだ。その吹けば飛ぶような市民グループに対し「右翼」「圧力団体」「無法者集団」などといった不当なレッテルを貼り、故意に彼らの姿を歪め、彼らの主張するところの「ザ・コーヴは、テロ集団・シーシェパードによってプロデュースされた反日プロパガンダ」という主張は、マスメディアにとって都合の悪い主張として必死に黙殺し、ただただ「表現の自由を妨害する分からずやの無法者たち」として描こうとする。実は、巨大権力・マスメディアこそが、現代日本における「表現の自由の真の敵」なのだ。

私は上映を中止した映画館に問いたい。いまの映画館には上映作品に対しての自らの信念はないのか?「どうしてもこの作品は素晴らしい。だからひとりでも多くの人たちにぜひこの映画を観ていただきたい」といった願望はないのか?いまの映画館は「小売り」としての作品に対する目利き・品定めの、いわゆる「プロの眼力」はないのか?私は正直に思う。抗議の電話を受けた映画館が、もう一度この映画よく観た結果、「ああ、やっぱりこの映画じゃあ、駄目だな。さっさと上映は中止にするか」と、映画館が自主的に判断したに過ぎないのだと。この映画、「プロの眼力」からすれば「およびでない」のだ。おそらく、この映画を高く評価しているのは森達也氏ぐらいだと思う(たぶんお金に困っているんだろう)。森達也氏の審美眼は、彼の作品を観れば一目瞭然、これまた「およびでない」のだ(笑)。

追記 -2010年6月17日

「イルカは頭がよい」というステレオタイプ-捕鯨論争には、たくさんの嘘やプロパガンダが充満している。世界中の人たち、そして多くの日本人たちがその嘘やプロパガンダによって、日本の捕鯨やイルカ漁、鯨やイルカの生態について間違った偽りの情報を刷り込まれ、事実とは違うステレオ・タイプを持っている。たとえば、多くの人々が信じていることに「鯨やイルカは非常に高い知能を持っている」というのがある。多くの人々は疑いもなく、このことをガチガチに信じ込んでしまっている。

本当にイルカってそんなに頭がよいのだろうか?ぜひ想像してみてほしい。もし本当に、イルカが知能の高い動物であれば、毎年秋になると、殺されると分かっている和歌山県太地町の海に戻ってくるわけがないだろうと考えるのは私だけだろうか?なるほど、よくよく考えてみれば、イルカというのは「よほど学習能力がない」動物だと気づく。(あまり他人の学習能力を非難することのできない私だが・・・)

私たちは、シーワールドでイルカの芸を観ることができるが、あれは調教師から芸を仕込まれたからであって、最初からシーワールドのイルカのように人間の命令どおりに芸ができる野生のイルカはいない。アシカやアザラシに調教師が芸を仕込むのと同様に野生のイルカも芸を仕込まなければ、シーワールドで客を喜ばすイルカにはならない。そうした、ごく当たり前に考えれば、自分が信じ込んでいたことが「真っ赤な嘘」であったことに気づくはずだ。それに気づけば、「イルカは知能が高い、賢い哺乳類だ。だからこそ、そんな哺乳類を殺してよいのか!」などといった憤りや凄惨なイメージにいままで繋がっていたことがわかってくる。「殺しちゃいけない」の前提となるところの「知能が高い」ことが条件からぬけ落ちてしまうと・・・イルカ漁に対する憤りや凄惨なイメージ、太地町の血に染まった海の光景もまた違ったものに思えてくる。つまり、あなたが「イルカはそれほど知能が高くない」と気づいた瞬間、あなたのイルカ漁に対する視点が変わるのである。

追記 -2010年6月23日

問うに落ちず語るに落ちる- 6/21に行われた映画『ザ・コーヴ』上映中止に関するシンポジウム(東京・霞が関の弁護士会館)。翌6/22にその模様について書いたマイコミジャーナルの記事によると、ジャーナリストの田原総一朗氏、映画監督の崔洋一氏、月刊『創』編集長の篠田博之氏らがパネラーとして意見を述べる中、質疑応答では、反捕鯨団体の「シー・シェパード」との関わりを隠している出演者・製作者がいることを報道陣から指摘される場面も。担当者から「シー・シェパードとの関連については、基本的にリック・オバリーさんもルイ・シホヨス監督も『ない』と断言しています」と説明があった・・・とある。

さてさて、昨日の産経新聞(6/22)の記事で、もうご存知の方も多いだろうが、”「ザ・コーヴ」第2弾、今秋に放映 シー・シェパードの番組制作の米放送局で”とあり、記事から引用すると、リチャード(リック)・オバリー自身が、「ザ・コーヴ」第2弾となる連続テレビシリーズの放映が今秋から始まることを明らかにしたことを伝えている。さらに、その放送局および番組枠について、米団体「シー・シェパード」の調査捕鯨妨害を一方的な編集で制作したドキュメンタリー番組「クジラ戦争」を流している米有料チャンネル「アニマルプラネット」。クジラ戦争は3年前からシリーズ化しており、今冬の調査捕鯨妨害事件で公判中のピーター・ベスーン被告(45)が主役級で登場するシーズン3(全12回)が今月から放映されている。さらに、アニマルプラネットによれば、番組名は「ドルフィン・ウォーリヤーズ」(イルカを守る闘士たち)で、「ザ・コーヴ」のように、オバリーさんのイルカ解放活動をドキュメンタリータッチに取り上げる・・・とある。実は、クジラ戦争”Whale Wars”そのものが日本では放送されていないが、この米ケーブルテレビのアニマルプラネットの目玉番組が、シーシェパードの大活躍を追ったクジラ戦争”Whale Wars”であり、さらに、シーシェパードは、リチャード・オバリーの登場する新番組「”Dolpin Warriors” ドルフィン・ウォーリヤーズ」を追加投入するのだ。クジラとイルカを惨殺する未開の野蛮人。彼らの薄汚れた手から愛すべき人間の友達であるクジラとイルカを守るため命をかけて闘う十字軍。南氷洋の戦線から敵地・日本へと果敢にのり込んでいった2人の勇者。ひとりの名はリチャード・オバリー、そしてもうひとりがピーター・ベスーンだ。

映画『ザ・コーヴ』上映中止に関するシンポジウムにおいて、アンプラグド(日本での配給会社)およびパネラーの連中は、「シーシェパードについての話題は当映画にとっては最大のネガティブポイントであるため、シーシェパードとの関連性はいっさい黙殺または否定すること」としたプロモート・マニュアルを遵守しようとして、シーシェパードとザ・コーヴの関係を問うメディアに対し、配給者側がその一切の関係を必死に否定してきた。にもかかわらず、当のザ・コーヴの主人公でイルカ並みの知能を誇るリチャード・オバリーは映画の宣伝としてプラスに働くと思い、「シーシェパードが番組提供やっているアニマルプラネットで、今年の秋からオイラの大活躍が放映されるんだぜ」とおおっぴらに語ってしまった。まさに、このマイコミジャーナルと産経新聞の2つの記事、「問うに落ちず語るに落ちる」という言葉の意味をよく表わした事例である(笑)。

追記 -2010年7月1日

映画館は弱者ではまったくない-私は、独自に「ザ・コーヴ」の上映を決めた映画館8館(北海道~九州の地方都市にある映画館中心)の代表者に電話で調査を行った。質問内容は、(1)この映画を上映しようと決めた動機、(2)08年の映画「YASUKUNI」は上映したか否か、(3)この映画上映についての映画館への抗議の電話や街宣があったか無かったかの大きく3点。その結果、たいへん面白いことが分かった。それは、電話をかけた8館の映画館のすべてが08年に「YASUKUNI」を上映しており、みな口を揃えて「2年前のYASUKUNIは興行的には大成功した」と答えたこと。そして今回の「ザ・コーヴ」については「内容については不快だが、実際に映画を観たい客がいるのだから、上映する場を提供するのが映画館の存在意義だ」とこれまた一様に答えた。「観たい客がいる」という回答を解釈するならば、つまり、今回の「ザ・コーヴ」も「YASUKUNI」の時と同様に「興行的な成功」が予め保障されている、「この映画は客が集まるだろう」と手ごたえを感じているという意味にとれる。また、それを裏付けるかのように、「抗議の電話などありましたか?」と訊ねると1館を除いて7館すべてが「抗議の電話はないが、がんばって上映してくださいとか、ぜひ映画を観たいという励ましの電話をいただいた」と答えた。映画館って、決して「社会的正義」で上映素材を決めているわけじゃない。今回の調査では、「ザ・コーヴが素晴らしい映画だから」という理由で上映している映画館なんて皆無だった。要は儲かるか儲からないか、興行として成功するか否か、金勘定で上映するかしないかを決定しているに過ぎない。それと同時に、特に「ザ・コーヴ」を上映できなければ映画館の経営に行き詰るということもない。他にも上映素材はたくさんある。映画館は「YASUKUNI」に次ぐ2匹目のドジョウを狙っているに過ぎないということが分かってきた。そして「ザ・コーヴ」をプロモートするために、極右の圧力によって映画館が上映中止に追い込まれているかのような、「可哀想な映画館の支配人」といった印象操作がマスメディアを通じて行われてきたことが明白になったのだ。

映画「ザ・コーヴ」をめぐる問題における真の弱者、それは、人口3千2百人ほどの小さな漁村・和歌山県太地町の人々だ。映画館は市民団体から「上映を中止しろ」とは言われても「閉館しろ」とは要求されていない。しかし、いまの太地町の漁民たちは「毎年秋から冬にかけてのイルカ漁をやめろ」と要求されているのだ。80年代までずっと町の多くの人々が関わっていた捕鯨、それもすでに国際政治に蹂躙されたうえに厳しく制限されてしまった。シーシェパード制作の「ザ・コーヴ」は、太地町の漁師たちの人権を著しく侵しただけじゃない。彼らがいまの生活を維持していくためにずっと行ってきた生業(なりわい)そのものを奪おうとしている。つまり、この映画は太地町の人々の「生存権」を脅かしているのだ。守られるべきは、太地町の人々の暮らしであり、映画館の興行的成功ではない。国際テロリスト・シーシェパードからお金を貰って「ザ・コーヴ」のプロモートを請け負っている自称ジャーナリスト・篠田博之氏は、真の弱者である太地町の人々の暮らしを無視し、映画館を「弱者」として仕立て上げ、「表現の自由」と「知る権利」いう美名を「目眩し(めくらまし)」に用いて、大衆を騙している。篠田氏は、「ザ・コーヴ」はシーシェパードが企画から制作まで行った映画であることを十分に分かっていながらも、それを知らせず、「映画を観てから堂々と議論をしよう」などと言う。そうした議論を行うためは、まず第一に、映画についての正確なバックグラウンドとしての情報をきちんと伝えるのが「議論をしよう」と呼びかける者の本来の姿勢ではあるまいか。しかも、この映画が、国際刑事警察機構(ICPO)から指名手配を受けているポール・ワトソンが代表を勤めるシーシェパードによって企画・制作されたという事実はきわめて重要な情報ではないのか。篠田氏による抜擢によって初期段階の「ザ・コーヴ」のプロモートを牽引してきた森達也氏にすら「ザ・コーヴとシーシェパードの関係」を故意に隠してきたことは明らかだ。だからこそ、6月9日の時点で、私が作ったチラシ「ザ・コーヴはテロ集団シーシェパードによるプロパガンダ」を読んだ森達也氏が私に「これ本当なの?」と訊ねてきたのだ。この時はじめて、森達也氏は「ザ・コーヴ」という映画を上映することが「公序良俗に反すること」に気づいたのだと思う。

社会正義に燃え、巨大な権力に立ち向かっていこうとする精神が本来のジャーナリストの魂ではなかったのか。しかしながら篠田博之氏は、国際テロリストから金を貰い、日本のマスメディアを駆使することによって国民を煙に巻き、人種ハラスメントを目的とするプロパガンダ映画をプロモートしてきた。撮影の手法が「騙し」なら、プロモートの手法も「騙し」なのだ。何から何まで卑劣。それが映画「ザ・コーヴ」の本質である。太地町という小さな漁村に住む人々のささかな暮らしを破壊しようとする映画「ザ・コーヴ」。この映画の上映中止を私は今まで以上に声高に訴えていきたい。少しでも多くの人々が「ザ・コーヴ上映中止」に賛同していただけることを切に願う。そして今年の秋には、和歌山県太地町を訪ねイルカ料理でも食ってみようじゃないか。

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WHAT’S THE PURPOSE OF ANTI-WHALING?
映画「ザ・コーヴ」の上映はすべて中止すべきだ
卑劣なプロパガンダ映画「ザ・コーヴ」
THE COVE – A Despicable Propaganda Movie

女性専用車両-創価学会によって日本社会に注入された猛毒 May 17, 2010

Posted by TAMAGAWABOAT in Blogroll, Japan, Japanese.
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予め断っておくが、私は日ごろから次のように思っている。「私は男性として差別されようが、まったく平気だ。世の中、男女平等なんて唱えるほうがそもそもおかしい。男と女、体付きが違うように、その役割分担も能力も異なる。また思考様式も感情の露出方法も異なる。電車の中で席がひとつしかなく、男・女どちらかが席を譲らなければならないのなら、率先して男が女に譲るのが当然であり、それでこそ男だ」と。

やわらかい土は掘られる-ご存知の方も多いと思うが、「女性専用車両」は、今から7~8年ほど前から東京の京王線で導入されて以来、地下鉄・西武線・東急線・東上線・JR埼京線・JR京浜東北線とその導入が急激に拡大されている。・・・そして京浜東北線と導入拡大が続いている。それを「女性専用車両は、行き過ぎた女性優遇であり、逆に男性に対する差別を生んでいる。女性専用車両は廃止すべし!」と主張する団体も現れた。しかしながら、当の男性の多くは「女性専用車両?そこまで目くじらを立てて、男らしくもない」とか「男性にとって怖い痴漢冤罪防止になるのであれば結構じゃないか」とか・・・どうやら男性の間にも、女性専用車両についての問題意識は希薄である。実は、そうした「問題意識の希薄さ」に付け込んで、女性専用車両の拡大は促進されてきた。中国のことわざに「やわらかい土は掘られる」というのがあるが、そのことわざ通りになったのだ。

韓国ソウルで始まった女性専用車両-今から10数年ほど前、94年か95年ごろではなかったかと思う。朝の通勤時間帯に放送されていた「ズームイン・朝!」(日本テレビ系列・01年終了)を観ていたら、韓国・ソウルの通勤電車で、痴漢行為の多さに手を焼いた鉄道会社が、痴漢対策に女性専用車両を導入したというニュースが流れていた。女性だけが詰め込まれた車両に、ひとりポツンと韓国人の中年サラリーマン。女性だけの車内をきょろきょろと見回し、やがて「ハッ」と気づき、バツの悪そうな素振りで、その女性専用車両をそそくさと出ていく姿。周囲の女性たちはクスクスと笑っていた・・・。当時、私はこのニュースを見て、思いっきり声を出してゲラゲラと笑った。「なんて破廉恥だ!いかにも韓国らしいニュースだ(爆笑)」と。ある種の侮蔑の感情で当時の女性専用車両が導入された韓国を観ていた。

公明党の選挙ネタとしての女性専用車両-それから10年ぐらい経過し(05年前後)、あのエゲツなく堪らないほど破廉恥な女性専用車両が東京に登場。それと、同時期だったと思うが、女性専用車両の登場と同時に、JRの駅構内に中国語とハングル文字の案内表示が増えていった。この2つの動き、実は見事なほどに連携している。それというのも、これらを促進してきた組織が公明党・創価学会である。公明党は、自公連立政権下において、執拗までに国土交通大臣のポストに固執した。北側一雄氏が小泉内閣時代において04年9月から06年9月まで(小泉第2次と第3次内閣)、冬柴鐵三氏は06年9月から08年8月まで(安部内閣と福田内閣)、計4年間、公明党は国土交通省を我が物としたのである。その間、04年12月、韓国人観光客の日本への渡航に際してのビザ免除措置、続いて、05年7月、中国人への団体観光ビザ発給地域の拡大(大都市から中国全土へ)を打ち出していく。そして国内では、創価学会の婦人部・女子部を総動員し、「痴漢防止のための女性専用車両導入を訴える」署名活動を駅前や各家庭への訪問によって展開し、数万という署名を集める。「女性専用車両を実現しましょう」と言われて反対する女性は稀である。そして大量に集まった署名を携えて、公明党の大臣がいる国土交通省に陳情に訪れたり、各私鉄に対して「女性専用車両の導入」の要請を行ってきた。さらに、選挙が近づくと、公明党は「党の献身的な活動によって女性専用車両を実現しました!」とその実績をアピールし、浮動票である女性票を取り込もうとしてきた。つまり、女性専用車両は、公明党・創価学会の選挙のネタだったのだ。

目的が変更された女性専用車両-当初は「痴漢防止」のための女性専用車両の導入だったが、導入前と後の「痴漢被害件数」をみると、横ばいまたは増加している。それもそのはず、10両編成のうち1両を女性専用車両としても、痴漢行為を常習とする人間は他の9両で、その行為を犯すのだ。だから「痴漢冤罪防止」には何ら効果はない。したがって、女性専用車両は「痴漢防止」には効果を発揮せず、ただただ「女性専用のサロンカー」と化していったのである。一方、昨年12月からJR埼京線で導入された防犯カメラの車内設置によって10年度1~2月期の「痴漢被害」が昨年より半減したと警視庁が報告(10年3月)。その結果をもって、今年4月には、埼京線の全車両に防犯カメラが設置されることになった。防犯カメラこそが、現時点で考えられる最も有効な「痴漢対策」であり、女性専用車両はその効果はまったくないのである。にもかかわらず、防犯カメラが有効な解決策とすでに判明しているにもかかわらず、今年4月に同じJRの京浜東北線において、女性専用車両が新規に導入されるという矛盾が起きている。つまり、いまやJRは、女性専用車両の目的を本来の「痴漢防止策」から「女性のための特別優遇車両」へとすでにシフトしたのだ。鉄道各社が真剣に「痴漢行為の防止」に努めようとするのであれば、その効果が実証済みである防犯カメラを積極的に設置し、と同時に、当初の目的を果たせなかった女性専用車両を廃止すべきなのだ。鉄道各社は単に「女性客の満足度」を高めることに努めるようになった。またプラットホームでは、女性専用車両へ乗降する女性客のための「コスメティック関連ショップ」が開店され、女性をターゲットに絞ったマーケティングが展開されるに至っている。さらに、女性専用車両内の中刷り広告を眺めれば、やはり女性にターゲットを絞った広告が目立つ。さらに「第三文明」や「潮出版のパンプキン」などの創価学会・聖教新聞系の出版社の広告が、車内広告全体のなんと大きなシェアを占めていることか。TVや新聞などのマスメディアが創価学会に支配されていると言われて久しいが、電車という「空間メディア」も創価学会がすでに支配していたのである。創価学会にとっても鉄道会社とっても、女性専用車両は、すでに美味しい装置となっていたのだ。

女性専用車両に乗車する女性たちの本音-たいへん興味深いことに、女性たちに「女性専用車両について、どう思う?」と訊ねると、ほとんど全ての女性たち(年齢を問わず)は、たちどころに顔が真っ赤になり、いわゆる「憤怒」が彼女らの根底に沸き起こる。この問題、女性を非常に感情的にさせる。どうやら、一瞬にして、私は彼女らから見て「女性の敵」となるらしい。彼女らの心理のメカニズムはいったいどうなっているのだろうか?彼女らは口々に言う言葉を書き連ねてみる。「痴漢の怖さは、女になってみないと理解できないのよ」「声を出して助けを呼べばですって?満員電車で声なんて出せるわけないじゃない。それに周囲の誰が助けてくれるというの?」「女性専用車両は痴漢防止に役立っていないですって?でも、私は女性専用車両に乗っているぶんには、気持ちが安心できるのよ」「朝から満員電車の中で中年オヤジの背タバコ臭と加齢臭が染みついた背広と無理やり密着させられることから、女性専用車両は解放してくれたのよ」「満員電車の中で口臭のキツい男性がすぐ前にきたら、もう最悪。やっぱり女性専用車両は必要なのよ」・・・。

現代の下肥列車、それが女性専用車両-彼女らの発言からすると、彼女ら自身も、「痴漢被害から逃げること」以上に「不潔で臭い男性との隔離による安心感と爽快感」へと変わってきている。つまり、「汚らわしい男性もいない、男性たちの視線を気にすることなく化粧も食事もできる非常識空間・女性用サロンカー」となったのだ。パブリック(公共)という空間は、「異性の眼」が存在するからこそ、「パブリック(公共)における常識」が保持されてきたのだと思う。「みっともない」という感覚、そうした感覚を憶えるような行為をしないよう各人が努める、ある種の緊張感がパブリック(公共)に秩序をもたらしてきた。そのパブリック(公共)から男性という「異性」を排除してしまえば、そこは女子高の寮や女性用トイレと同じ空間となってしまうのだ。いわゆる女性たちが異性の視線を気にすることなく安心(=リラックス)して「醜態」を晒すことのできる空間。ゆえに、私は女性専用車両のことを次のように語っている。「エゲツなく、いかがわしく、破廉恥きわまりない空間、それが女性専用車両である!終戦直後の食糧難の一時期、池袋から東上線や西武線を使って東京から埼玉へ肥料としての糞尿を運んだ列車のことを下肥列車(または黄金列車)と呼んだ。現代の下肥列車、それが女性専用車両であり、エゲツなく破廉恥な女性専用車両は、沿線に猛烈な悪臭を放ちながら走っているのだ!」と。

日本社会の破壊をもくろむ公明党・創価学会-これまでの社会、常に男と女、子供からお年寄り、健常者と体の不自由な人、そんな人たちが入り混じって、助け合い、譲り合いながら暮らしてきた。無言ながらも、お互いの視線がお互いを監視し合い、いわゆる「世間体」が保持され、日本の「道徳」が維持されてきたのである。女性たちが異性の視線を気にすることなく安心(=リラックス)して醜態を晒すことのできる女性専用車両、いまの小学生の子供たちの瞳にどのように映っているのだろうか?それを考えると恐ろしい。「痴漢防止策で女性だけの車両があるなんて男性はみなケダモノなのか?」「女性に生まれたことは特権なのか?」「電車の中で、女性たちは食事も化粧も好き放題やっているが、これが公の姿なのか?」・・・そう思いながら子供たちが育っていくことが怖いと思う。そもそも日本は女性が夜道をひとりで歩くこのできる数少ない国。日本の性犯罪発生件数は、世界で群を抜いて低い。日本ほど治安の良い国を挙げることが難しいくらいだ。何がそのような日本を作ってきたのか、良くも悪くも日本人が互いの眼を意識し合う「世間体」だったのではないのか?その日本社会の「世間体」を「人間革命」とか「第三文明」といったスローガンで破壊を試みてきた似非宗教団体が創価学会。女性専用車両は、その日本社会を瓦解させようとする創価学会によって注入された猛毒である。

「女性の時代だ、女性の自立だ、女性の社会進出だ」なんて騒いできた女性解放主義者の連中は、世の女性たちに対して、「あなたが痴漢にあったら、すぐさま声を出して、ピシャリと相手の手を叩き落し、”てめぇ~!この変態野郎ぉ!”と言ってやりなさい。それ位の勇気もないのなら、女性の自立なんて10年早いですよ」なんて事をきちんと説いてあげるべきだ。そして最後に私は、世の女の人・男の人に言いたい。女性は男性の視線があって「淑女」になり、男性もまた女性の視線があって「紳士」になる。そして、男性の視線は女性をより美しくしていく力があるのだ・・・と。

日本人とは何か(1)
日本人とは何か(2)
駅前のアヘン売人、パチンコ店を排除せよ

TAMAGAWABOAT 
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