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Hiroshima, Nagasaki and Pearl Harbor August 7, 2010

Posted by TAMAGAWABOAT in B-29, Blogroll, History, Japan, Japanese, Nanking Massacre, Rape of Nanking, WW2, Yasukuni.
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65 years ago today, for the first time in the history of humankind, the nuclear weapon was used against innocent civilians by America.  65 years ago today was Monday. At 1:30 am, early on Monday morning, August 6th in 1945, America’s B-29 bomber, the Enola Gay left Tinian Island in the western Pacific. At 8:05 am, the Enola Gay reached the sky over Hiroshima. 10 minutes later, at 8:15 am, the Enola Gay dropped the world’s first atomic bomb on the center of Hiroshima which had a population of 350,000.

We should focus attention on the day and time when America dropped the atomic bomb. 8:15 am. and Monday morning… Why did the Enola Gay carry out the world’s first atomic bombing at 8:15 a.m.? Why did the Enola Gay drop the atomic bomb on Monday morning? American Army knew Japanese schools held morning meetings on Monday morning. 8:15 on Monday was the time that schools started morning meetings. American Army knew school children would round up in schoolyards for morning meetings at 8:15 am. Therefore, American Army set the time of dropping the world’s first atomic bomb at 8:15 am, on Monday, August 6th. For what? To kill Japanese school children efficiently and to crush all hope in Japan’s future. As a result of America’s atomic bombing, 140,000 people out of 350,000 citizens of then Hiroshima died. Most of 140,000 people were children, women and elderly people. They suffered and suffered, and died in great agony. It is obvious that America carried out genocide against the Japanese people on the pretext of ending the war.

Only 3 days after the atomic bombing on Hiroshima, the world’s second atomic bomb caused the further humanitarian tragedy for innocent civilians of Nagasaki. American Army dropped new type of atomic bomb different from the bomb that they dropped on Hiroshima 3 days ago. 70,000 people out of 240,000 citizens of then Nagasaki died. While American Army dropped ‘uranium-type bomb’ on Hiroshima, they dropped ‘plutonium-type bomb’ on Nagasaki. America succeeded in developing two different types of atomic bombs. America carried out the experiment of two different types of atomic bombs on hundreds of thousands living human bodies in the confusion just before the end of the war.

Some people, especially Americans say, “The atomic bombings of Nagasaki and Hiroshima ended the war. These two atomic bombs saved millions of lives that would have been lost through a long lasting war.” This is delusive sophistry to justify America’s hideous crime against humanity. 

The people who believe that these two atomic bombs ended the war should recognize that America prolonged the war intending to drop atomic bombs on Japanese cities by presenting unacceptable terms of surrender against Japan. The people who believe that these two atomic bombs ended the war should recognize that there are rules even during wartime. America’s atomic bombing obviously violated the Hague Convention that prohibited attacks on civilians. The people who believe that these two atomic bombs ended the war should recognize that there are many people who still suffer atomic-bomb disease now, 65 years after the war. The people who believe that these two atomic bombs ended the war should recognize that there are the people who are called “children of atomic-bomb victims”. Why they who have no relationship with the war 65 years ago have to suffer atomic-bomb disease?

Atomic bombing is the worst war crime against humanity in human history. But American Presidents have never once visited Hiroshima or Nagasaki. No more Hiroshima, No more Nagasaki. Pearl Harbor once again!

August 6, 2010
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Yasukuni Shrine – 1

65年前の今日、人類史上はじめて、アメリカによって核兵器が一般市民に使用されました。65年前の今日、1945年8月6日、月曜日早朝の午前1時30分、アメリカのB29爆撃機、エノラゲイは西太平洋上のテニアン島を飛び立ちました。。午前8時05分、エノラゲイは広島上空に到達、その10分後の8時15分、エノラゲイは35万人の人口を持つ広島の中心部に、世界ではじめての原子爆弾を投下しました。

私たちは、アメリカが原爆を投下した曜日と時刻に着目すべきです。8時15分、そして月曜日であったことを。なぜエノラゲイは8時15分に、世界最初の原爆を投下したのか?なぜエノラゲイは月曜日に原爆を投下したのか?を。アメリカ陸軍は、日本の学校が月曜日の朝に朝礼を行うのを知っていました。月曜日の8時15分という時刻は、学校が朝礼を始める時刻です。アメリカ陸軍は、午前8時15分には、生徒たちが朝礼のために校庭に出ることを知っていたのです。それゆえに、アメリカ陸軍は、世界最初の原爆投下時刻を8月6日月曜日の午前8時15分に設定したのでした。なんのためか?効率よく日本の子供たちを殺すためです。そして、日本の将来への望みを打ち砕くためでした。

アメリカの原爆投下の結果、当時の広島市民35万人のうち14万人が死にました。14万人のほとんどが子供たちであり、女性であり、お年寄りの人たちでした。彼らは苦しんで苦しんで、もがきながら死んでいきました。アメリカが、戦争終結を口実として、日本人を大量虐殺したことは明白なのです。

広島への原爆投下からわずか3日後、史上2番目の原爆が長崎の一般市民に対してさらなる非人道的な惨劇をもたらしました。アメリカ陸軍は3日前に広島に投下した爆弾とは異なった新型の原爆を投下したのです。当時の長崎の24万人の市民のうち7万人が亡くなりました。アメリカ陸軍は広島にウラン型原爆を投下する一方で、長崎にはプルトニウム型原爆を投下したのです。アメリカは2つの異なるタイプの原爆の開発に成功していたのです。アメリカは、終戦間際のどさくさに紛れて、数十万人の生きた人間に対して、この異なる2つのタイプの原子爆弾の人体実験を行ったのです。

ある人たちは言います。特にアメリカ人が言います。「広島・長崎への原爆投下が戦争を終わらせたのだ。この2つの原爆が、長引く戦争で亡くなったであろう数百万人の生命を救ったのだ」と。これは、アメリカの身の毛もよだつほど残忍で非人道的な犯罪を正当化するための欺瞞に満ちた詭弁なのです。

2つの原爆が戦争を終結させたと信じる人々は、アメリカが原爆を日本の都市に投下する目的で、故意に日本に受け入れ難い降伏条件を突きつけ、戦争を長引かせたことを理解すべきです。2つの原爆が戦争を終結させたと信じる人々は、戦時下においてさえ、守るべきルールが存在することを知るべきです。アメリカの原爆投下は明らかに、一般市民への攻撃を禁じたハーグ条約に違反します。2つの原爆が戦争を終結させたと信じる人々は、終戦から65年経った今なお、たくさんの人々が原爆症に苦しんでいることを知るべきです。2つの原爆が戦争を終結させたと信じる人々は、被爆2世と呼ばれる人々がいることを知るべきです。65年前の戦争とは関係のない彼らが、なぜ原爆症で苦しまなければならないのでしょうか。

原爆投下は、人類史上最悪の非人道的犯罪です。しかし、アメリカ大統領は一度たりとも広島や長崎を訪ねてはいません。ノーモア・ヒロシマ、ノーモア、ナガサキ。パールハーバー、ワンスアゲイン!

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シーシェパード制作の「ザ・コーヴ」に表現の自由を認めない June 9, 2010

Posted by TAMAGAWABOAT in Blogroll, Japan, Japan Bashing, Japanese, racism, whaling.
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2010年6月8日、映画「ザ・コーヴ」が市民団体の抗議を受けて一部の映画館で上映中止となったことについて、ジャーナリストや映画監督ら55人が8日までに反対の緊急アピールを発表し、配給会社や映画館に送付したというニュースが流れました。つきましては、以下は私からの彼ら(上映中止に反対する知識人たち)に対する反論です。

テロリストの作った映画に表現の自由を認めてはならない。-毎年冬になると、南氷洋において日本の調査捕鯨船団に対し繰り返し妨害を行う自称・環境保護団体シーシェパード。日本の捕鯨船に酪酸の入ったビンを投げ入れたり、危険なレーザー光線の照射、捕鯨船のスクリューにロープを巻きつけようとしたり日本船を沈没させようとするなど、シーシェパードの行為は嫌がらせのレベルをはるかに超えた国際海洋法に違反する犯罪であり許しがたいテロ行為です。映画「ザ・コーヴ」は、この悪名高いテロ集団・シーシェパードがプロデュースした反捕鯨を標榜するプロパガンダ映画です。監督であるルイ・シホヨスおよび映画に登場する元イルカ調教師のリチャード・オバリーの2人は、元シーシェパード・メンバーであり、この映画の本当の企画・制作者は、シーシェパード代表のポール・ワトソンなのです。しかしながら、日本ではその事実があまり知られていないようです。さらには、「ザ・コーヴ」をプロモートする配給会社含め評論家も、シーシェパードの関与については、なぜか堅く口を閉ざしたままです。

「ザ・コーヴ」はシーシェパードが作った危険なトロイの木馬です。-ぜひ、シーシェパードのウェッブサイトwww.seashepherd.orgを覗いてみてください。英語のページには、03年9月、シーシェパードが「イルカ・キャンペーン」と称し和歌山県太地町のイルカ漁の網を切断する事件を起こしたことが明記され、メンバー2人が警察に23日間拘留されたとあります。その際、同行していたのが、当時シーシェパードのメンバーだったリチャード・オバリーです。一方、ルイ・シホヨスは、05年に「海洋保全協会」(Oceanic Preservation Society, OPS)という団体を設立、映画「ザ・コーヴ」はこの団体の提供とのクレジットが付されていますが、この「海洋保全協会」のウェッブサイトのパートナーズにシーシェパードへのリンクがあります。さらに決定的なことには、映画「ザ・コーヴ」制作の基礎を築いたのはシーシェパード自身であり、リチャード・オバリーが太地町に出入りするためにシーシェパードを辞め、この映画の計画を暖めた後の07年にルイ・シホヨスが監督になったとシーシェパード自ら明記しています。時間は若干遡りますが、04年9月、シーシェパードは当サイトを通じ、太地町でのイルカ漁の映像とスチール写真について償金付きの公募を行っています。ビデオ映像1分につき500ドル、写真1枚につき250ドル支払うとありました。映画「ザ・コーヴ」がドキュメンタリーかプロパガンダかといったことを議論する以前に、この映画自体、シーシェパードが日本にしかけた精神テロであり、「表現の自由」を声高に叫ぶ者たちを巧みに利用し、彼らにその綱を引かせ日本人の精神構造の中へと密かに入城させようとする危険な「トロイの木馬」なのです。

「ザ・コーヴ」は日本人に対する人種ハラスメント映画です。-あなたのご自宅から最も近い食肉加工センターをご存知ですか?ご存知でなければ、一度、ネットで検索をしてみてください。食肉加工センター、いわゆる「屠殺場」の一番はじめの工程において、毎日どんな作業が行われているか、ぜひ見学してみてください。(しかしながら、他の工程は見学できても、この工程だけはなかなか見学させてもらえませんが) その一番はじめの工程では、後足を縛られ天井から逆さ吊りにされた牛たちが、前足をバタバタとさせながら工程ラインを次々に流れてゆきます。このラインの中ほどで、職人たちが大きなナタで牛の首を切り裂いています。ナタが振られた瞬間、牛は断末魔の悲痛な叫び声をあげます。急所を外された牛は激痛のあまりモガいています。そして、本当に「涙」を流すのです。そんな場面において、もし仮に、牛を映していたカメラが職人のほうへ向けられ、その顔が大きくアップで捉えられたとしたら・・・。そんな映像、いったい誰が許すのでしょうか(怒)。「表現の自由?知る権利の侵害?ふざけるな!」と思いっきり大声で怒鳴りつけたい気持ちになります。「表現の自由」とか「知る権利の侵害」とかにこじつけて、なんとかして「ザ・コーヴ」の国内での上映を実現させたいとする連中は、いったい誰のお陰で毎日、朝昼晩、飯を食べることができるのか、分かっちゃいないのです。屠殺場において生き物を締めて殺す仕事、この神聖な仕事があってこそ、人間社会は成り立ってきました。ですから、日本のみならず、世界どこの国においても、この領域は「アンタッチャブルな領域」と呼ばれてきたのです。そんな「わきまえ」もなく、昼飯にカツ丼を食ったその口から、ゲップ混じりに「表現の自由だ」「知る権利の侵害だ」といった発言がでてくる映画作家やジャーナリスト。なんて知恵遅れの連中かと驚きます。

「ザ・コーヴ」は、そうした「アンタッチャブルな領域」に密かにカメラを持ち込み隠し撮りを行い、そして世界に公開しました。「ザ・コーヴ」のクライマックス、イルカ漁で真っ赤に染まった入り江、銛を何度もイルカに突き刺すシーン、日本人の形相・・・。アメリカやオーストラリアの屠殺場で、牛の首をナタで切り裂く仕事をやっている人の顔をアップで映画に使えると思いますか?当然、使えませんよね。でも「ザ・コーヴ」では、イルカを銛で突く日本人漁師を撮影し、躊躇なく世界に公開している。それらの映像の中に、映画スタッフが故意に漁師たちを何度も挑発し、キレた漁師がカメラに向かって怒鳴っている表情をここぞとばかり撮影し、彼らを「マフィア」とまで呼んでいます。本当に卑怯な映画だとは思いませんか?本来ならば、そうしたシーンは「人権」に十分に配慮すべきところですが、この映画には何らその形跡が見えない。それどころか、より憎々しく見せようとする意図さえうかがえます。つまり、この映画は、世界に向かって日本人に対する不当な偏見や憎悪を撒き散らそうとするプロパガンダ、すなわち「反日プロパガンダ映画」なのです。

白人至上主義の白人らは、対象が同じ白人であれば、その相手の人権を尊重しますが、いざ相手が日本人となると、どうやら何をしても許されると思う傾向があるようです。シーシェパードが日本の捕鯨船に向かって投げつける酪酸の入ったガラス瓶。その瓶が粉々になった実物を、私は、今年5月27日、30日の2回、東京地裁の傍聴席で見ました。元シーシェパードのメンバー、ピーター・ベスーンの裁判にてです。検察側が ビニールに入った瓶の欠片を掲げると、法廷の中に強い「糞尿」の悪臭が漂いました。この極めて強い悪臭を持つ液体は、いったん服に付着すると、洗剤で何度洗っても取れないそうです。検察はベスーン被告に問いました。「このようなものを人に向かって投げつけてもよいと思いますか?」 ベスーンは答えました。「酪酸は人体に無害と聞いています」と。こうした白人は、日本人のことを「自分と同じ人間」だとは思ってはいないようです。きわめて悲しいことですが。

映画館は弱者ではありません。そうした印象操作が意図的に行われたのです。-私は独自に、「ザ・コーヴ」の上映を決めた映画館23館(6/21現在)のうち映画館8館(北海道・北陸・上信越・中国・四国・九州)の代表者の方に電話でインタビューを行いました。私が訊ねた質問は、(1)この映画を上映しようと決めた動機、(2)08年の映画「YASUKUNI」は上映したか否か、(3)この映画上映についての映画館への抗議の電話や街宣があったか無かったか、の3点でした。その結果、たいへん面白いことが分かりました。8館の映画館のすべてが、2年前の08年に映画「YASUKUNI」を上映しており、みな一同に口を揃えて「2年前のYASUKUNIは当たった」「たくさんのお客さんが入った」「興行的に大成功した」と回答され、そして今回の「ザ・コーヴ」の感想については、やはり8館ともに同じような回答で、それを要約すると、「映画の内容については不快。あまり良い映画だとは思わないが、実際に映画を観たいという客がいるのだから、上映する場を提供するのが映画館の社会的な責務だ」とお答えいただきました。さらに、「映画上映について抗議の電話や街宣の活動などありましたか?」と訊ねると、8館のうち、1館を除いて他すべてが「東京のほうは抗議で大変らしいが、幸いなことに、こちらのほうでは抗議の電話はほとんどない。むしろ、がんばって上映してくれとか、応援していますといった励ましの電話を複数いただいている」と回答されました。これらの回答を解釈するならば、映画「ザ・コーヴ」の上映は、映画館にとっての興行的な成功は予め担保されており、今回の映画も2年前の「YASUKUNI」の時と同じくらい「たくさんの客の入り」が期待できること、それが今回、映画館が「ザ・コーヴ」上映を決定した最大の理由であることが分かりました。つまり、上映を決定した映画館の実態は、「表現の自由を守る」という崇高な理想を掲げて立ち上がった映画館でもなく、右翼の圧力に晒されながらもじっと耐え忍んでいる弱者としての映画館でもない、また、「ザ・コーヴ」という映画に惚れ込んだわけでもないことが分かりました。ただただ金勘定、映画「YASUKUNI 」に次ぐ2匹目のドジョウを映画館は狙っているに過ぎません。しかし実際には、マスメディアを通じて、「右翼の圧力によって、泣く泣く上映中止に追い込まれている弱者としての映画館」といったイメージが急速に形成されていったのです。

本当に守られるべきは、「表現の自由」ではありません。-映画館は、「ザ・コーヴ」が上映できなければ経営に行き詰るというわけでは全くありません。映画館には「ザ・コーヴ」以外にもいろんな上映できる素材を選択することができるからです。映画館は、市民グループから「上映を中止しろ」と抗議を受けても「廃業しろ」とは要求されてはいません。しかし、「ザ・コーヴ」は、和歌山県太地町の人々に「イルカ漁をやめろ!」と訴え、「みんなでこの残酷なイルカ漁を止めさせよう」と観客の感情に訴えています。シーシェパードが企画・制作したこの映画は、太地町の漁師たちの人権を著しく侵害するだけなく、生活を維持するための生業(なりわい)そのものを奪おうとしています。太地町の人々の「生存権」が脅かされているのです。江戸時代初期までその歴史を遡ることのできる古式捕鯨発祥の地・和歌山県太地町。この町の人口は、捕鯨が盛んだった80年代初めには5千人近くいましたが、80年代後半に商業捕鯨が禁止されると、人口も徐々に減ってゆき、09年現在で3千2百人ほどになってしまいました。いまや捕獲数量が厳しく制限された枠の中で、ゴンドウクジラなどの小型の沿岸捕鯨とイルカの追い込み漁だけが行われているのです。その残された太地町のイルカ漁も、ここ数年来、シーシェパードをはじめとする環境保護団体に、毎年、執拗に妨害されてきました。09年に制作されたドキュメンタリー「太陽の町、黒潮と鯨と」(原題:Town of Sun, the Black Tide and Whales 米09年制作)というわずか17分の短い映画があります。この映画はYouTubeなどの動画サイトでご覧になれますので、ぜひ興味のある方は検索してみてください。(ご希望の方は英語タイトルにリンクされていますのでをクリックしてください)映画では、太地町の人がひとりずつ「太地町と鯨」についてのインタビューに静かに答えており、短いながらもよくまとまった作品です。その中で、太地町教育委員会の北洋司氏は次のように語っています。「太地町には、(イルカ漁の)シーズンになると、幾つかのグループがやって来て(漁師に対して)挑発行為をします。しかし、漁師は彼らの挑発に乗ってしまったら、もうお仕舞なのです。どんなに腹が立とうが絶対に挑発には乗るな、と我々は漁師に話しています。しかし人間だからどうしたってキレる時もでてきます。そんな時は、公権力である警察とか海上保安庁によって、傍若無人な行為をやっている人達を抑えてもらうしかないのです。常に『太地の人間からは絶対に手を出すな』と言っていますが、若い人たちには、無性に我慢できない時が当然ながらでてきます。だから、精神的な高揚を持続していくしかないのです。彼等(シーシェパード)はそれをよく分かっているからこそ、余計にそこへ手を突っ込もうとするんです。精神文化どうしのぶつかり合いならまだ何かしら方法があります。しかし、彼らには理解しようという意識はさらさら無いのです。そして、彼らにとって、それ(イルカ漁への妨害)がすでにビジネスになってしまっています。これは、彼らのビジネスと我々の歴史文化および精神文化との戦いなのです」と。03年9月に、シーシェパードは「イルカ・キャンペーン」と称してリチャード・オバリーほか数名のメンバーを太地町に送り、イルカを囲い込んでいる網を切断、メンバー2名が警察に逮捕される事件を起こしました。以来、毎年秋になると、彼らは映画の撮影スタッフと一緒に太地町にやってきて、漁師たちに挑発行為と嫌がらせを繰り返してきたのです。そのシーシェパードによる太地町の人々に対する嫌がらせの記録、それが映画「ザ・コーヴ」なのです。「ザ・コーヴ」上映をめぐる問題において、本当に守られるべきもの、それは「表現の自由」や「映画館の売上げや興行的成功」ではありません。本当に守られるべきは、南紀にある人口3千2百人の小さな漁村、太地町の人々の「ささやかな暮らし」なのです。

とことん騙してやろうという映画、それが「ザ・コーヴ」です。-いずれの映画においても、世間の注目度をいかにして高めるか、プロモーターはさまざまな仕掛けや策略をめぐらします。市民グループの上映中止を求める街宣活動を見たプロモーターは、この「ザ・コーヴ」においても2年前の映画「YASUKUNI」と似たような状況が作れると判断しました。プロモーターは、この市民グループが掲げる日の丸と拡声器でがなり立てる光景が、多くの人々の心の中にある「街宣右翼」に対するアレルギーを刺激し、彼らの主張とは逆の方向へ誘導できるはずだと確信したのです。そして、上映中止に追い込まれていく映画館を「弱者」に仕立て上げ、「右翼の圧力に苦しむ映画館」を応援していこうというキャンペーンを行いました。「表現の自由」という錦の御旗を掲げ、マスメディアを総動員し、日弁連、日本ペンクラブが続きました。再び2年前の「YASUKUNI」の再現です。しかし、この作戦は短期的にしか通用しません。おそらく1~2ヶ月後、踊らされた人々、動員された各連合会、マスメディアも含めて「好い面の皮だったよ」と自嘲すると思います。というのは、プロモーターが隠してきた「ある重要な情報」がすでに広まりつつあるからです。それが「ザ・コーヴはシーシェパードの企画制作によるプロパガンダ」です。プロモーターは言います。「映画を観てから堂々と議論しょう」と。きちんとした議論を行うためは、まずは必要不可欠かつ正確なバックグラウンドをきちんと伝えるのが、「議論をしよう」と呼びかける者の本来の姿勢ではないでしょうか。しかしながら、どこまでもこの情報を隠そうとするのです。撮影の手法が「騙し」なら、プロモートの手法も「騙し」です。何から何まで卑怯・卑劣、それが映画「ザ・コーヴ」の本質なのです。                  

なお、シーシェパードと映画「ザ・コーヴ」についての密接な関係を調査していただいたMr.Hさんと彼のお友達に深く感謝します。
Mr.Hさんお友達ブログ(在米) http://redfox2667.blog111.fc2.com/blog-entry-227.html

※上記内容を両面印刷のチラシとしてご利用いただければと思い、pdfファイルを用意しました。A4×4ページまたはA3×2ページ(A3の両面印刷で1枚のチラシが完成します)でご利用いただけます。大至急、拡散にご協力いただければ幸甚です。sea_shepherds_cove_0703revised (PDFファイル985KB)

追記 -2010年6月12日

6月9日(木)に創出版(代表・篠田博之氏)主催の映画「ザ・コーヴ」上映とシンポジウム(中野ゼロホール)に行ってきた。私が中野ゼロホールに到着したのが18時5分ほど前。開場は18時20分からにもかかわらず、すでに開場を待つ人たちの列が3つほどできており、しかも誘導の人がいないため、どこが最後尾かわからない状況だった。しかしながら、皆静かに列に並ぶ姿に、私は「ある種の秩序」を感じ、このシンポジウムにやってきた人たちのレベルの高さを感じた。この人たちだったら、理解していただけるだろう・・・私が持参したチラシの内容を、と思った。

早速、私は、開場を待つ人々の列にチラシを配り始めた。予め350枚用意したチラシは開場までの約20分間で、その配布をすべて終え、それでも足りなかったのでコンビにで30枚ほどコピーをした。主催者側によると、前売り券を持ってた方550人、キャンセル待ち約100人、合計650人だったので、約6割近くの人が、私が用意したチラシを受け取ってもらったことになる。皆さん、開場待ちで手持ち無沙汰ということもあってか、チラシをじっと読む方も多く、私のチラシに対する反論としての意思表示をされた方も3名(男性2名、女性1名)いた。開場後は、コンビ二でコピーしたチラシをメディアとシンポジウムのパネラーの方々を中心に配った。

私が会場の階段付近で、会場に走りこんでくるメディアの方々にチラシを配っているとこへ当シンポジウムの主催者・篠田博之氏がやってきてきて「あなたは主権回復の会員なのですか?」と訊ねてきた。「いいえ、会主催の街宣にはときどきは参加はしますが会員ではありません。そもそもあの会の会員が誰だか存じてませんが」と答えると、「チラシを配るのであれば、主催者側の了解をとるべきではないかと思うけど」と言うので、私はわざとポー(はあ?という感じ)ととぼけたフリをしていると、「まあ、それはあなたの表現の自由だから何も言えないけど、それにしても、このチラシの中の<表現の自由を認めてはならない>というのはやめてもらえないかなあ」と篠田氏。私は「シーシェパードというテロリスト集団が作ったプロパガンダ映画に表現の自由を認めてはならないと主張しているんですよ。ここ10年間のスローガンは<テロに屈しちゃいけない>でしょ?」、すると篠田氏は「シーシェパードが関与している話については、大体の事は知っているけど」と返したので、「ご存知であれば、この映画を紹介する際に、この映画とシーシェパードとの関係をきちんとインフォームするのがジャーナリストの責任じゃないのですか?それを晒したうえで、皆でこの映画について討論する。それでこそシンポジウムでは?」というと、シーシェパードの話題はあまりしたくないらしく、そそくさに去った。つまり、篠田氏はこの映画の急所を知っていながら、それを隠しているに過ぎないのである。彼は最初からジャーナリストとしての立場を放棄している。篠田氏はジャーナリストでもなんでもない、ただの映画「ザ・コーヴ」のプロモーター(販売促進係)として見ていたほうがよい。

その後すぐに、私の前に森達也氏がやってきた。「このチラシの、シーシェパードって本当なの?」と私に訊ねてきた。(何度かこの映画について発言してきた森氏が知らなかったというのがちょっと驚きだった)「本当ですよ。シーシェパード自身のホームページにそう書いてあります」と答えると、すると「ふーん、でもシーシェパードって、人種差別を目的にやっているわけじゃないでしょ。だってノルウェーの捕鯨船もシーシェパードに沈没させられてんだし・・・」と言った。私は『いったいシーシェパードの何時の時代の話をしているんだろう?シーシェパードがスペインやアイスランド、ノルウェーの船を標的にしていたのは80年代~90年代。この人はそのことを理解したうえで話をしているのだろうか?ひょっとして、かなりオメデタイ人じゃないだろうか』と思って、「ああ、そうですか」と笑いながら答えた。組織というのは「金」になるほうに転がっていく。シーシェパードのアニマル・プラネット(ケーブルテレビ)の「Whale Wars」は2008年11月に始まった。以来、アニマル・プラネットの目玉番組となった。その背景には「シーシェパードが戦っている相手は肌の色の違う東洋人」ってことがどこまでわかっているのだろうか?さらには、シーシェパードは、和歌山県太地町と姉妹都市関係にあるオーストラリア北西部のブルーム(Bloom)という人口1万5千人もの小さな町で、「ザ・コーヴ」の上映会を行い、日本人や太地町に憎悪を抱いたブルーム市民によって、日本人墓地(ブルームは明治期から真珠の町として、太地町出身の多くの日本人が潜水夫として移住してきた)において900基あった墓石のうち約200基がいたずらを受けたほか、町の議会において、太地町との姉妹都市提携・解消決議案も出された。つまり、シーシェパードが制作した「ザ・コーヴ」という映画は、シーシェパードの意図したとおり、日本人への不当な偏見や憎悪を煽ることに十分な効果を発揮していることを示しているのだ。もう一度ここで繰り返し言う。「ザ・コーヴ」は反日プロパガンダと断言して何ら問題ない。

そして最後に、鈴木邦男氏。この人とはシンポジウム終了後に一言だけ、私のほうから投げかけた。私はシンポジウム終了後のメディア関係がごった返えす舞台にあがって、鈴木氏に声をかけた。「鈴木さん! 鈴木さんは(映画を)一度見てから判断してくださいと言われましたが、その論理、もし仮に、私が新興宗教かマルチ商法の人間で『この宗教を非難する前に、一度でいいから集会か座談会に来てください』と言ったらどうします?来ていただけますか?宗教やマルチ商法に洗脳のメカニズムがあるように、プロパガンダにも洗脳のメカニズムがあるんですよ」と言うと、鈴木氏はムキになって「いや、違うね!」と一言だけ吐き捨てるように言った後、控えのほうへ急いで去っていった。この鈴木邦男という人、ある種の腐臭が漂う。

追記 -2010年6月14日

表現の自由とは何か?-「ザ・コーヴ」の上映を求める人たちが「表現の自由を守れ」という言葉を使っているが、私は彼らがこの言葉を使うたびに「プッ、なんとも薄っぺらな、安っぽい表現の自由だな」と思う。たった20人か30人ほどの草の根の市民団体、交通費も食事代も自前の完全ボランティア。その人たちが街角で「ザ・コーヴの上映中止を求める」街宣を行ったり、映画館に電話をかけ「上映を中止しろ!」と抗議を行った結果、映画館が彼らの圧力に屈して上映中止の決定を行った(?)。本当にお笑い草だ。な、なんだ、この表現の自由の軽さは、このチープさは!これが本当だとしたら、表現の自由を高く掲げてるわりには、あまりのへタレさに驚く。こうした連中は、北京の天安門広場でチベット国旗を手に持って「FREE TIBET!」と叫びながら50メートルをぜひ駆け抜けてきてほしい。その瞬間、きっと「表現の自由の尊さ」を感じることができることだろう。

「表現の自由」を弾圧するのは、公的な権力や巨大な権力・組織であり、20人か30人ほどの草の根の市民グループの抗議ではない。本当に「表現の自由」を弾圧するのは国家であり、そして都合の悪い「表現の自由」を圧殺するのがマスメディアである。そして、「表現の自由」を保障するのも、また公的な権力であり、草の根の市民グループにも当然ながら「表現の自由」が保障されているのだ。その吹けば飛ぶような市民グループに対し「右翼」「圧力団体」「無法者集団」などといった不当なレッテルを貼り、故意に彼らの姿を歪め、彼らの主張するところの「ザ・コーヴは、テロ集団・シーシェパードによってプロデュースされた反日プロパガンダ」という主張は、マスメディアにとって都合の悪い主張として必死に黙殺し、ただただ「表現の自由を妨害する分からずやの無法者たち」として描こうとする。実は、巨大権力・マスメディアこそが、現代日本における「表現の自由の真の敵」なのだ。

私は上映を中止した映画館に問いたい。いまの映画館には上映作品に対しての自らの信念はないのか?「どうしてもこの作品は素晴らしい。だからひとりでも多くの人たちにぜひこの映画を観ていただきたい」といった願望はないのか?いまの映画館は「小売り」としての作品に対する目利き・品定めの、いわゆる「プロの眼力」はないのか?私は正直に思う。抗議の電話を受けた映画館が、もう一度この映画よく観た結果、「ああ、やっぱりこの映画じゃあ、駄目だな。さっさと上映は中止にするか」と、映画館が自主的に判断したに過ぎないのだと。この映画、「プロの眼力」からすれば「およびでない」のだ。おそらく、この映画を高く評価しているのは森達也氏ぐらいだと思う(たぶんお金に困っているんだろう)。森達也氏の審美眼は、彼の作品を観れば一目瞭然、これまた「およびでない」のだ(笑)。

追記 -2010年6月17日

「イルカは頭がよい」というステレオタイプ-捕鯨論争には、たくさんの嘘やプロパガンダが充満している。世界中の人たち、そして多くの日本人たちがその嘘やプロパガンダによって、日本の捕鯨やイルカ漁、鯨やイルカの生態について間違った偽りの情報を刷り込まれ、事実とは違うステレオ・タイプを持っている。たとえば、多くの人々が信じていることに「鯨やイルカは非常に高い知能を持っている」というのがある。多くの人々は疑いもなく、このことをガチガチに信じ込んでしまっている。

本当にイルカってそんなに頭がよいのだろうか?ぜひ想像してみてほしい。もし本当に、イルカが知能の高い動物であれば、毎年秋になると、殺されると分かっている和歌山県太地町の海に戻ってくるわけがないだろうと考えるのは私だけだろうか?なるほど、よくよく考えてみれば、イルカというのは「よほど学習能力がない」動物だと気づく。(あまり他人の学習能力を非難することのできない私だが・・・)

私たちは、シーワールドでイルカの芸を観ることができるが、あれは調教師から芸を仕込まれたからであって、最初からシーワールドのイルカのように人間の命令どおりに芸ができる野生のイルカはいない。アシカやアザラシに調教師が芸を仕込むのと同様に野生のイルカも芸を仕込まなければ、シーワールドで客を喜ばすイルカにはならない。そうした、ごく当たり前に考えれば、自分が信じ込んでいたことが「真っ赤な嘘」であったことに気づくはずだ。それに気づけば、「イルカは知能が高い、賢い哺乳類だ。だからこそ、そんな哺乳類を殺してよいのか!」などといった憤りや凄惨なイメージにいままで繋がっていたことがわかってくる。「殺しちゃいけない」の前提となるところの「知能が高い」ことが条件からぬけ落ちてしまうと・・・イルカ漁に対する憤りや凄惨なイメージ、太地町の血に染まった海の光景もまた違ったものに思えてくる。つまり、あなたが「イルカはそれほど知能が高くない」と気づいた瞬間、あなたのイルカ漁に対する視点が変わるのである。

追記 -2010年6月23日

問うに落ちず語るに落ちる- 6/21に行われた映画『ザ・コーヴ』上映中止に関するシンポジウム(東京・霞が関の弁護士会館)。翌6/22にその模様について書いたマイコミジャーナルの記事によると、ジャーナリストの田原総一朗氏、映画監督の崔洋一氏、月刊『創』編集長の篠田博之氏らがパネラーとして意見を述べる中、質疑応答では、反捕鯨団体の「シー・シェパード」との関わりを隠している出演者・製作者がいることを報道陣から指摘される場面も。担当者から「シー・シェパードとの関連については、基本的にリック・オバリーさんもルイ・シホヨス監督も『ない』と断言しています」と説明があった・・・とある。

さてさて、昨日の産経新聞(6/22)の記事で、もうご存知の方も多いだろうが、”「ザ・コーヴ」第2弾、今秋に放映 シー・シェパードの番組制作の米放送局で”とあり、記事から引用すると、リチャード(リック)・オバリー自身が、「ザ・コーヴ」第2弾となる連続テレビシリーズの放映が今秋から始まることを明らかにしたことを伝えている。さらに、その放送局および番組枠について、米団体「シー・シェパード」の調査捕鯨妨害を一方的な編集で制作したドキュメンタリー番組「クジラ戦争」を流している米有料チャンネル「アニマルプラネット」。クジラ戦争は3年前からシリーズ化しており、今冬の調査捕鯨妨害事件で公判中のピーター・ベスーン被告(45)が主役級で登場するシーズン3(全12回)が今月から放映されている。さらに、アニマルプラネットによれば、番組名は「ドルフィン・ウォーリヤーズ」(イルカを守る闘士たち)で、「ザ・コーヴ」のように、オバリーさんのイルカ解放活動をドキュメンタリータッチに取り上げる・・・とある。実は、クジラ戦争”Whale Wars”そのものが日本では放送されていないが、この米ケーブルテレビのアニマルプラネットの目玉番組が、シーシェパードの大活躍を追ったクジラ戦争”Whale Wars”であり、さらに、シーシェパードは、リチャード・オバリーの登場する新番組「”Dolpin Warriors” ドルフィン・ウォーリヤーズ」を追加投入するのだ。クジラとイルカを惨殺する未開の野蛮人。彼らの薄汚れた手から愛すべき人間の友達であるクジラとイルカを守るため命をかけて闘う十字軍。南氷洋の戦線から敵地・日本へと果敢にのり込んでいった2人の勇者。ひとりの名はリチャード・オバリー、そしてもうひとりがピーター・ベスーンだ。

映画『ザ・コーヴ』上映中止に関するシンポジウムにおいて、アンプラグド(日本での配給会社)およびパネラーの連中は、「シーシェパードについての話題は当映画にとっては最大のネガティブポイントであるため、シーシェパードとの関連性はいっさい黙殺または否定すること」としたプロモート・マニュアルを遵守しようとして、シーシェパードとザ・コーヴの関係を問うメディアに対し、配給者側がその一切の関係を必死に否定してきた。にもかかわらず、当のザ・コーヴの主人公でイルカ並みの知能を誇るリチャード・オバリーは映画の宣伝としてプラスに働くと思い、「シーシェパードが番組提供やっているアニマルプラネットで、今年の秋からオイラの大活躍が放映されるんだぜ」とおおっぴらに語ってしまった。まさに、このマイコミジャーナルと産経新聞の2つの記事、「問うに落ちず語るに落ちる」という言葉の意味をよく表わした事例である(笑)。

追記 -2010年7月1日

映画館は弱者ではまったくない-私は、独自に「ザ・コーヴ」の上映を決めた映画館8館(北海道~九州の地方都市にある映画館中心)の代表者に電話で調査を行った。質問内容は、(1)この映画を上映しようと決めた動機、(2)08年の映画「YASUKUNI」は上映したか否か、(3)この映画上映についての映画館への抗議の電話や街宣があったか無かったかの大きく3点。その結果、たいへん面白いことが分かった。それは、電話をかけた8館の映画館のすべてが08年に「YASUKUNI」を上映しており、みな口を揃えて「2年前のYASUKUNIは興行的には大成功した」と答えたこと。そして今回の「ザ・コーヴ」については「内容については不快だが、実際に映画を観たい客がいるのだから、上映する場を提供するのが映画館の存在意義だ」とこれまた一様に答えた。「観たい客がいる」という回答を解釈するならば、つまり、今回の「ザ・コーヴ」も「YASUKUNI」の時と同様に「興行的な成功」が予め保障されている、「この映画は客が集まるだろう」と手ごたえを感じているという意味にとれる。また、それを裏付けるかのように、「抗議の電話などありましたか?」と訊ねると1館を除いて7館すべてが「抗議の電話はないが、がんばって上映してくださいとか、ぜひ映画を観たいという励ましの電話をいただいた」と答えた。映画館って、決して「社会的正義」で上映素材を決めているわけじゃない。今回の調査では、「ザ・コーヴが素晴らしい映画だから」という理由で上映している映画館なんて皆無だった。要は儲かるか儲からないか、興行として成功するか否か、金勘定で上映するかしないかを決定しているに過ぎない。それと同時に、特に「ザ・コーヴ」を上映できなければ映画館の経営に行き詰るということもない。他にも上映素材はたくさんある。映画館は「YASUKUNI」に次ぐ2匹目のドジョウを狙っているに過ぎないということが分かってきた。そして「ザ・コーヴ」をプロモートするために、極右の圧力によって映画館が上映中止に追い込まれているかのような、「可哀想な映画館の支配人」といった印象操作がマスメディアを通じて行われてきたことが明白になったのだ。

映画「ザ・コーヴ」をめぐる問題における真の弱者、それは、人口3千2百人ほどの小さな漁村・和歌山県太地町の人々だ。映画館は市民団体から「上映を中止しろ」とは言われても「閉館しろ」とは要求されていない。しかし、いまの太地町の漁民たちは「毎年秋から冬にかけてのイルカ漁をやめろ」と要求されているのだ。80年代までずっと町の多くの人々が関わっていた捕鯨、それもすでに国際政治に蹂躙されたうえに厳しく制限されてしまった。シーシェパード制作の「ザ・コーヴ」は、太地町の漁師たちの人権を著しく侵しただけじゃない。彼らがいまの生活を維持していくためにずっと行ってきた生業(なりわい)そのものを奪おうとしている。つまり、この映画は太地町の人々の「生存権」を脅かしているのだ。守られるべきは、太地町の人々の暮らしであり、映画館の興行的成功ではない。国際テロリスト・シーシェパードからお金を貰って「ザ・コーヴ」のプロモートを請け負っている自称ジャーナリスト・篠田博之氏は、真の弱者である太地町の人々の暮らしを無視し、映画館を「弱者」として仕立て上げ、「表現の自由」と「知る権利」いう美名を「目眩し(めくらまし)」に用いて、大衆を騙している。篠田氏は、「ザ・コーヴ」はシーシェパードが企画から制作まで行った映画であることを十分に分かっていながらも、それを知らせず、「映画を観てから堂々と議論をしよう」などと言う。そうした議論を行うためは、まず第一に、映画についての正確なバックグラウンドとしての情報をきちんと伝えるのが「議論をしよう」と呼びかける者の本来の姿勢ではあるまいか。しかも、この映画が、国際刑事警察機構(ICPO)から指名手配を受けているポール・ワトソンが代表を勤めるシーシェパードによって企画・制作されたという事実はきわめて重要な情報ではないのか。篠田氏による抜擢によって初期段階の「ザ・コーヴ」のプロモートを牽引してきた森達也氏にすら「ザ・コーヴとシーシェパードの関係」を故意に隠してきたことは明らかだ。だからこそ、6月9日の時点で、私が作ったチラシ「ザ・コーヴはテロ集団シーシェパードによるプロパガンダ」を読んだ森達也氏が私に「これ本当なの?」と訊ねてきたのだ。この時はじめて、森達也氏は「ザ・コーヴ」という映画を上映することが「公序良俗に反すること」に気づいたのだと思う。

社会正義に燃え、巨大な権力に立ち向かっていこうとする精神が本来のジャーナリストの魂ではなかったのか。しかしながら篠田博之氏は、国際テロリストから金を貰い、日本のマスメディアを駆使することによって国民を煙に巻き、人種ハラスメントを目的とするプロパガンダ映画をプロモートしてきた。撮影の手法が「騙し」なら、プロモートの手法も「騙し」なのだ。何から何まで卑劣。それが映画「ザ・コーヴ」の本質である。太地町という小さな漁村に住む人々のささかな暮らしを破壊しようとする映画「ザ・コーヴ」。この映画の上映中止を私は今まで以上に声高に訴えていきたい。少しでも多くの人々が「ザ・コーヴ上映中止」に賛同していただけることを切に願う。そして今年の秋には、和歌山県太地町を訪ねイルカ料理でも食ってみようじゃないか。

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映画「ザ・コーヴ」の上映はすべて中止すべきだ
卑劣なプロパガンダ映画「ザ・コーヴ」
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映画「ザ・コーヴ」の上映はすべて中止すべきだ June 4, 2010

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テロの手法には大きく2通りある-反捕鯨を口実とした反日プロパガンダ映画「ザ・コーヴ」の日本国内での劇場公開が、ある劇場では6月下旬ごろからと決まったらしい。ある人々は言う。「ある特定団体(右翼)が配給会社や劇場に対して圧力かけて『ザ・コーヴ』を上映中止に追い込んでいる。08年の映画・靖国YASUKUNIの再現だ。今ふたたび表現の自由が危機に晒されている。表現の自由を守ろう!」と。さらには「映画を観ずして批判するな!批判は映画を観てからにしろ!」と常套文句を用いた映画宣伝へと誘導しようとする連中がいる。私はこうした論調に対し、ぜひとも日本人自身の力で、映画「ザ・コーヴ」の上映を断固阻止すべきだと、信念を持ってそう思っている。なぜならば、この「ザ・コーヴ」の実態をよくよくみれば、南氷洋において日本の調査捕鯨船に対し繰り返し危険なテロ攻撃を行ってきたシー・シェパードがスポンサーとなっている映画であるということ(そのように公表されていなくてもそうなのだ)に気づくはずだ。そして、予め頭の中に抑えておかなければならないことは、テロの手法には、物理的なテロと精神的なテロの2通りあるということ。精神的なテロとは、メディアを通じた情報操作や映像を通じて、テロの目的を遂行しようとすること。この映画「ザ・コーヴ」は、まさに精神テロの使命を帯びたシー・シェパードのプロパガンダ映画なのだ。ゆえに、「テロに屈しない!」という文言通り、この映画を日本で絶対に上映させてはならないのである。それでもなお、「映画を観ずして批判するな。表現の自由に対する弾圧だ」などと言い続けている連中は、私からみれば、日本国内へ危険な「トロイの木馬」を引き入れようとする工作員である。

敵のプロパガンダを封じ込める-映画「ザ・コーヴ」をドキュメンタリーなどと絶対に呼ばないでいただきたい。もし、そう呼ぶならば、1944年のフランク・キャプラ作品の「ザ・バトル・オブ・チャイナ(The Battle of China)」までもがドキュメンタリーとなってしまう。プロパガンダには、はっきりと「プロパガンダ」という呼称を用いるべきだ。それでも「ザ・コーヴ」をドキュメンタリーと呼ぼうとする人間は、ドキュメンタリーとプロパガンダの違いを考えたことのない人であるか、よほど何かしら特殊な意図または任務を持った人である。なんと言おうと、ヤラセ・捏造に満ちた映画「ザ・コーヴ」には、ドキュメンタリーかプロパガンダかといった議論の余地はもはや無い。シー・シェパードが世界と日本に向けて仕掛けた正真正銘のプロパガンダである。この映画は、シー・シェパードの言うところの「クジラ戦争-Whale Wars (アニマル・プラネットにて世界中で放送中、ただし日本だけ放送されていない)」における重要な作戦なのだ。そのプロパガンダにどう対処するか、それがいまの我々に問われている課題である。「ザ・コーヴ」に対して反証する映画もいいだろうが、とりあえず、まず早急に打たなくてはならない対処は、日本人に仕掛けようとしてくる精神テロを水際で排除すること。すなわち、国内における劇場での「ザ・コーヴ」の上映を阻止することである。おそらく、「ザ・コーヴ」をプロモートする連中は、それを逆手にとり、「右翼の圧力によって上映中止に追い込まれたザ・コーヴ」などと宣伝に利用しようとするだろう。しかし同時に、シー・シェパードやグリーンピースなどによる欺瞞に満ちた反捕鯨論に対して、その嘘や捏造を暴く絶好の機会でもあるのだ。まずは、世界に配信される海外メディアを通じて、「ザ・コーヴの日本での上映中止」というニュースを配信させ、反捕鯨団体のテロに対して怒っている日本人たちの存在を印象付ける機会としようではないか、仕掛けられたテロに対して、黙って屈することはない。果敢にテロと闘う日本人の姿を世界に見せつけようではないか!

捕鯨論争は嘘とプロパガンダに満ちている-「日本の捕鯨が鯨を絶滅に追いやっている」「鯨の知能指数は人間と同じくらい高い」「鯨食は日本の文化とは言えない」「日本の鯨食は、戦後の学校給食で始まった」「日本の調査捕鯨は商業捕鯨だ」…などなど、さまざまな嘘が反捕鯨団体および外国のメディアによって世界中にばら撒かれている。さらには、日本人の一部までがそれを信じ、捕鯨推進派の日本人たちを罵ろうとする。「鯨肉なんて要らない。日本人の多くは食べたくないんだ。あんなもの美味しくもない。捕鯨問題で、日本は世界中の評判を落としている。鯨なんて食べなくても、牛や豚などの家畜の肉を食えばいいだろう」などと言う日本人がいる。もう完璧に出来あがってしまって、反捕鯨の「白人」のお面をつけてしまっている。日本人はこれまでずっと海の幸・恵みをいただきながら生活してきた。海岸の岩にへばりついている海苔、そこに転がるウニをはじめとして、たくさんの魚、そしてイルカに鯨。この日本の多様で豊かな食生活が日本の文化を支えてきたのだ。今年、話題になったマグロ捕獲量についての国際会議を見て、日本がこれまで食料として確保してきた海の恵みが、英米を中心とした欧米によって鯨以外にもさまざまな種類の魚を制限しようとしていることを理解した人たちも多いと思う。鯨の次は沿岸のイルカ、そしてマグロ、さらにカツオ…理不尽でごう慢な圧力を日本にかけ、日本の食卓を無理やり変革させようとしてきた。思い返せば、1976年、アメリカが200海里漁業専管水域を設定、ロシア、カナダはそれに追従し、日本の漁船が世界中の漁場から締め出されていった。

和歌山県太地町には日本の未来が託されている-自分が鯨の肉を食べないから嫌いだからという理由で、「鯨肉なんて食べなくても他に食べ物はたくさんあるだろ。捕鯨なんてやめてしまえ」という日本人がいる。そんな人に出会うと、私は次のような話をする。「私が大阪に1年間ほど住んでいたが、大抵の大阪の人は納豆の話になると、眼を釣りあげて『あんな足のムレたような臭いのするもん、食べんでええ』と東日本の食文化である納豆を口撃しようとするんだ。鯨もそれと同じだ。自分が食べていないからって、それを非難することはおかしい。それに人間の味覚は小学校2~3年生ぐらいで確立してしまうらしい。私が生まれて初めて牛肉を食べたのが小学校3年ぐらいだったと思う。母親が牛肉の、それも今思えば、サーロインのようないい肉を買ってきて、家で焼いて食べさせてくれたことがある。その時のこと今でも憶えている。そして母親には悪いこと言っちゃたなぁと思うけど、『母ちゃん、この肉は食えんよ。牛乳臭くて美味しくないよ』と言ったんだ。だからこそ、私は日本人みんなに言いたいんだ。いまの20代の日本人が鯨肉を必要ないと言うのは当然。食い付けていないんだよ。だからこそ、いまの小学校の給食で、もっともっと精力的に鯨肉を食べさせてあげなくちゃいけないんだ。子供の頃に食べ慣れさせることが重要なんだ。それを怠ってしまうと日本の捕鯨は本当に無くなってしまうんだ」と。日本の背中の後ろあたりに中国という国があり13億人の胃袋が控えている。これまで日本は世界最大の食料輸入国であったが、中国はまもなく日本を抜き、世界最大の食料輸入国となる。その時、日本が輸入している豚肉や牛肉は本当に安定供給され続けるのだろうか?日本の食料自給率はすでに40%を大きく下回ってしまった(61年80%→05年40%)。この極端に低い食料自給率は、日本の安全保障上にかかわる問題じゃないのか。ある日本人が言う。「日本の調査捕鯨なんて名ばかりで、実態は商業捕鯨じゃないか」と。私は笑いながら答える。「名ばかりで何が悪い?この調査捕鯨をやめてしまえば、これまで培われてきた日本の捕鯨技術とノウハウ。そしてその捕鯨船団と技術を持った乗組員たちはどうなるか?いったんそれらが失われてしまうと、いざという時、今の船団を構成するのにどれほどの年月がかかるか?もう再構築は無いんだよ。だからこの貴重な捕鯨船団、その灯火を消しちゃならないんだ!調査捕鯨は、いざというときのためのアイドリングと考えたほうがいい。それにしても、日本の捕鯨を感情的に攻撃しながら、商業捕鯨を堂々と行っている国があるのを知っているか?それがアメリカだ。彼らはアラスカでのエスキモーのために毎年、絶滅危惧種のホッキョククジラの捕獲数を確保している(※ホッキョククジラの生存数は約9000頭)。これこそ先住民生存捕鯨といった名ばかりの商業捕鯨なのだ。クジラの工芸品がアラスカのウェブサイトで販売されているのを私は見た。アメリカの欺瞞を許してはならない。私はアメリカのエスキモーに次のように言ってやりたいね。絶滅に瀕しているホッキョククジラ以外に他に食うものあるだろうって(笑)。いまや21世紀、スーパーマーケットでトナカイの肉やコンビーフの缶詰でも買って食べたらどうだ?アメリカ政府から手厚い生活保護でも貰っている身分なのだろうから…と。反捕鯨団体はアメリカの先住民生存捕鯨を容認している。反捕鯨団体はその理由を捕鯨がエスキモーの文化だからと主張する。絶滅危惧種であるホッキョククジラを守りたいのか、エスキモーの文化を守りたいのか矛盾してはいないか?反捕鯨団体は本当に自然保護団体なのか、それとも文化保護団体なのか…まさか人種差別団体ではあるまいな(笑)。そして、だからこそ江戸初期から続く古式捕鯨を生んだ和歌山県太地町のイルカ漁を『文化』と呼びたくないのでしょ?」と。私たち日本人は、将来の子供たちのために捕鯨と鯨食を大切に守っていかなければならない。それを日本国内から妨害しようとする反捕鯨団体の策略としての欺瞞に満ちたプロパガンダ映画「ザ・コーヴ」はいかなる手段を持ってしても粉砕すべきなのである。「表現の自由」や「見たいものを見る権利を守ろう」などとナイーヴな意見を主張する以前に、これは「日本の安全保障に関わる問題」であり「日本人の生存権が脅かされている問題」であることをよく考えてもらいたい。そこんとこ、ひとつよろしく。


シーシェパード制作の「ザ・コーヴ」に表現の自由を認めない
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女性専用車両-創価学会によって日本社会に注入された猛毒 May 17, 2010

Posted by TAMAGAWABOAT in Blogroll, Japan, Japanese.
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予め断っておくが、私は日ごろから次のように思っている。「私は男性として差別されようが、まったく平気だ。世の中、男女平等なんて唱えるほうがそもそもおかしい。男と女、体付きが違うように、その役割分担も能力も異なる。また思考様式も感情の露出方法も異なる。電車の中で席がひとつしかなく、男・女どちらかが席を譲らなければならないのなら、率先して男が女に譲るのが当然であり、それでこそ男だ」と。

やわらかい土は掘られる-ご存知の方も多いと思うが、「女性専用車両」は、今から7~8年ほど前から東京の京王線で導入されて以来、地下鉄・西武線・東急線・東上線・JR埼京線・JR京浜東北線とその導入が急激に拡大されている。・・・そして京浜東北線と導入拡大が続いている。それを「女性専用車両は、行き過ぎた女性優遇であり、逆に男性に対する差別を生んでいる。女性専用車両は廃止すべし!」と主張する団体も現れた。しかしながら、当の男性の多くは「女性専用車両?そこまで目くじらを立てて、男らしくもない」とか「男性にとって怖い痴漢冤罪防止になるのであれば結構じゃないか」とか・・・どうやら男性の間にも、女性専用車両についての問題意識は希薄である。実は、そうした「問題意識の希薄さ」に付け込んで、女性専用車両の拡大は促進されてきた。中国のことわざに「やわらかい土は掘られる」というのがあるが、そのことわざ通りになったのだ。

韓国ソウルで始まった女性専用車両-今から10数年ほど前、94年か95年ごろではなかったかと思う。朝の通勤時間帯に放送されていた「ズームイン・朝!」(日本テレビ系列・01年終了)を観ていたら、韓国・ソウルの通勤電車で、痴漢行為の多さに手を焼いた鉄道会社が、痴漢対策に女性専用車両を導入したというニュースが流れていた。女性だけが詰め込まれた車両に、ひとりポツンと韓国人の中年サラリーマン。女性だけの車内をきょろきょろと見回し、やがて「ハッ」と気づき、バツの悪そうな素振りで、その女性専用車両をそそくさと出ていく姿。周囲の女性たちはクスクスと笑っていた・・・。当時、私はこのニュースを見て、思いっきり声を出してゲラゲラと笑った。「なんて破廉恥だ!いかにも韓国らしいニュースだ(爆笑)」と。ある種の侮蔑の感情で当時の女性専用車両が導入された韓国を観ていた。

公明党の選挙ネタとしての女性専用車両-それから10年ぐらい経過し(05年前後)、あのエゲツなく堪らないほど破廉恥な女性専用車両が東京に登場。それと、同時期だったと思うが、女性専用車両の登場と同時に、JRの駅構内に中国語とハングル文字の案内表示が増えていった。この2つの動き、実は見事なほどに連携している。それというのも、これらを促進してきた組織が公明党・創価学会である。公明党は、自公連立政権下において、執拗までに国土交通大臣のポストに固執した。北側一雄氏が小泉内閣時代において04年9月から06年9月まで(小泉第2次と第3次内閣)、冬柴鐵三氏は06年9月から08年8月まで(安部内閣と福田内閣)、計4年間、公明党は国土交通省を我が物としたのである。その間、04年12月、韓国人観光客の日本への渡航に際してのビザ免除措置、続いて、05年7月、中国人への団体観光ビザ発給地域の拡大(大都市から中国全土へ)を打ち出していく。そして国内では、創価学会の婦人部・女子部を総動員し、「痴漢防止のための女性専用車両導入を訴える」署名活動を駅前や各家庭への訪問によって展開し、数万という署名を集める。「女性専用車両を実現しましょう」と言われて反対する女性は稀である。そして大量に集まった署名を携えて、公明党の大臣がいる国土交通省に陳情に訪れたり、各私鉄に対して「女性専用車両の導入」の要請を行ってきた。さらに、選挙が近づくと、公明党は「党の献身的な活動によって女性専用車両を実現しました!」とその実績をアピールし、浮動票である女性票を取り込もうとしてきた。つまり、女性専用車両は、公明党・創価学会の選挙のネタだったのだ。

目的が変更された女性専用車両-当初は「痴漢防止」のための女性専用車両の導入だったが、導入前と後の「痴漢被害件数」をみると、横ばいまたは増加している。それもそのはず、10両編成のうち1両を女性専用車両としても、痴漢行為を常習とする人間は他の9両で、その行為を犯すのだ。だから「痴漢冤罪防止」には何ら効果はない。したがって、女性専用車両は「痴漢防止」には効果を発揮せず、ただただ「女性専用のサロンカー」と化していったのである。一方、昨年12月からJR埼京線で導入された防犯カメラの車内設置によって10年度1~2月期の「痴漢被害」が昨年より半減したと警視庁が報告(10年3月)。その結果をもって、今年4月には、埼京線の全車両に防犯カメラが設置されることになった。防犯カメラこそが、現時点で考えられる最も有効な「痴漢対策」であり、女性専用車両はその効果はまったくないのである。にもかかわらず、防犯カメラが有効な解決策とすでに判明しているにもかかわらず、今年4月に同じJRの京浜東北線において、女性専用車両が新規に導入されるという矛盾が起きている。つまり、いまやJRは、女性専用車両の目的を本来の「痴漢防止策」から「女性のための特別優遇車両」へとすでにシフトしたのだ。鉄道各社が真剣に「痴漢行為の防止」に努めようとするのであれば、その効果が実証済みである防犯カメラを積極的に設置し、と同時に、当初の目的を果たせなかった女性専用車両を廃止すべきなのだ。鉄道各社は単に「女性客の満足度」を高めることに努めるようになった。またプラットホームでは、女性専用車両へ乗降する女性客のための「コスメティック関連ショップ」が開店され、女性をターゲットに絞ったマーケティングが展開されるに至っている。さらに、女性専用車両内の中刷り広告を眺めれば、やはり女性にターゲットを絞った広告が目立つ。さらに「第三文明」や「潮出版のパンプキン」などの創価学会・聖教新聞系の出版社の広告が、車内広告全体のなんと大きなシェアを占めていることか。TVや新聞などのマスメディアが創価学会に支配されていると言われて久しいが、電車という「空間メディア」も創価学会がすでに支配していたのである。創価学会にとっても鉄道会社とっても、女性専用車両は、すでに美味しい装置となっていたのだ。

女性専用車両に乗車する女性たちの本音-たいへん興味深いことに、女性たちに「女性専用車両について、どう思う?」と訊ねると、ほとんど全ての女性たち(年齢を問わず)は、たちどころに顔が真っ赤になり、いわゆる「憤怒」が彼女らの根底に沸き起こる。この問題、女性を非常に感情的にさせる。どうやら、一瞬にして、私は彼女らから見て「女性の敵」となるらしい。彼女らの心理のメカニズムはいったいどうなっているのだろうか?彼女らは口々に言う言葉を書き連ねてみる。「痴漢の怖さは、女になってみないと理解できないのよ」「声を出して助けを呼べばですって?満員電車で声なんて出せるわけないじゃない。それに周囲の誰が助けてくれるというの?」「女性専用車両は痴漢防止に役立っていないですって?でも、私は女性専用車両に乗っているぶんには、気持ちが安心できるのよ」「朝から満員電車の中で中年オヤジの背タバコ臭と加齢臭が染みついた背広と無理やり密着させられることから、女性専用車両は解放してくれたのよ」「満員電車の中で口臭のキツい男性がすぐ前にきたら、もう最悪。やっぱり女性専用車両は必要なのよ」・・・。

現代の下肥列車、それが女性専用車両-彼女らの発言からすると、彼女ら自身も、「痴漢被害から逃げること」以上に「不潔で臭い男性との隔離による安心感と爽快感」へと変わってきている。つまり、「汚らわしい男性もいない、男性たちの視線を気にすることなく化粧も食事もできる非常識空間・女性用サロンカー」となったのだ。パブリック(公共)という空間は、「異性の眼」が存在するからこそ、「パブリック(公共)における常識」が保持されてきたのだと思う。「みっともない」という感覚、そうした感覚を憶えるような行為をしないよう各人が努める、ある種の緊張感がパブリック(公共)に秩序をもたらしてきた。そのパブリック(公共)から男性という「異性」を排除してしまえば、そこは女子高の寮や女性用トイレと同じ空間となってしまうのだ。いわゆる女性たちが異性の視線を気にすることなく安心(=リラックス)して「醜態」を晒すことのできる空間。ゆえに、私は女性専用車両のことを次のように語っている。「エゲツなく、いかがわしく、破廉恥きわまりない空間、それが女性専用車両である!終戦直後の食糧難の一時期、池袋から東上線や西武線を使って東京から埼玉へ肥料としての糞尿を運んだ列車のことを下肥列車(または黄金列車)と呼んだ。現代の下肥列車、それが女性専用車両であり、エゲツなく破廉恥な女性専用車両は、沿線に猛烈な悪臭を放ちながら走っているのだ!」と。

日本社会の破壊をもくろむ公明党・創価学会-これまでの社会、常に男と女、子供からお年寄り、健常者と体の不自由な人、そんな人たちが入り混じって、助け合い、譲り合いながら暮らしてきた。無言ながらも、お互いの視線がお互いを監視し合い、いわゆる「世間体」が保持され、日本の「道徳」が維持されてきたのである。女性たちが異性の視線を気にすることなく安心(=リラックス)して醜態を晒すことのできる女性専用車両、いまの小学生の子供たちの瞳にどのように映っているのだろうか?それを考えると恐ろしい。「痴漢防止策で女性だけの車両があるなんて男性はみなケダモノなのか?」「女性に生まれたことは特権なのか?」「電車の中で、女性たちは食事も化粧も好き放題やっているが、これが公の姿なのか?」・・・そう思いながら子供たちが育っていくことが怖いと思う。そもそも日本は女性が夜道をひとりで歩くこのできる数少ない国。日本の性犯罪発生件数は、世界で群を抜いて低い。日本ほど治安の良い国を挙げることが難しいくらいだ。何がそのような日本を作ってきたのか、良くも悪くも日本人が互いの眼を意識し合う「世間体」だったのではないのか?その日本社会の「世間体」を「人間革命」とか「第三文明」といったスローガンで破壊を試みてきた似非宗教団体が創価学会。女性専用車両は、その日本社会を瓦解させようとする創価学会によって注入された猛毒である。

「女性の時代だ、女性の自立だ、女性の社会進出だ」なんて騒いできた女性解放主義者の連中は、世の女性たちに対して、「あなたが痴漢にあったら、すぐさま声を出して、ピシャリと相手の手を叩き落し、”てめぇ~!この変態野郎ぉ!”と言ってやりなさい。それ位の勇気もないのなら、女性の自立なんて10年早いですよ」なんて事をきちんと説いてあげるべきだ。そして最後に私は、世の女の人・男の人に言いたい。女性は男性の視線があって「淑女」になり、男性もまた女性の視線があって「紳士」になる。そして、男性の視線は女性をより美しくしていく力があるのだ・・・と。

日本人とは何か(1)
日本人とは何か(2)
駅前のアヘン売人、パチンコ店を排除せよ

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THE COVE – A Despicable Propaganda Movie May 8, 2010

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“THE COVE” (93min/America/2009), which won the 82nd Academy Award for best documentary, is scheduled to be released in Japan at the beginning of summer. Without waiting for its release, I’ve watched “THE COVE” (full-length) on a free video site.

To quickly describe this movie, “THE COVE” is NOT a documentary movie. It is obvious that “THE COVE” is anti-Japanese propaganda made on the pretext of promoting anti-whaling. “THE COVE” will probably ring the bell with the people who are eager to bash Japan or the Japanese people with various excuses (anti-whaling, animal protection, historical issues, economic friction, and so on). “THE COVE” looks at Japanese whaling from a one-sided point of view. “THE COVE” takes a self-righteous and intrusive attitude. This is so Anglo-Saxonish! (Anglo-Saxonish; Anglo-Saxon people so often tend to think that they are always right and on the side of justice. They don’t hesitate to impose their values on other people.)

 About three years ago, I watched “OUR DAILY BREAD” (92min/Austria&Germany/2005) at a theater in Shibuya, Tokyo. So many chickens, swine, and cattle are killed one after another in automated slaughterhouses. This movie does not have narrations and keeps a detached tone. As a result, “OUR DAILY BREAD” succeeded with maintaining total emotional control. I sincerely admired the Japanese film’s distributor for having translated the movie’s title “OUR DAILY BREAD” into “INOCHI NO TABEKATA” (Japanese title). In a literal translation, “INOCHI NO TABEKATA” means “HOW TO EAT LIVES”. The Japanese title “INOCHI NO TABEKATA” reminds almost all the Japanese people of two phrases that we always say at meals while joining our hands before and after eating. These two phrases are “Itadaki-masu” and “Gochisosama-deshita”. These two phrases contain our gratitude to sacrificed lives. After watching “OUR DAILY BREAD”, I felt that we humans are pitiful creatures that cannot alive without killing other creatures. “OUR DAILY BREAD” is a great documentary movie.

Propaganda and Documentaries… what’s the difference between the two? Propaganda has a one-sided point of view and tries to inflame a certain sentiment among viewers. On the other hand, Documentaries always offer viewers something “thought-provoking”. The more universally “thought-provoking” content the movie offers, the better documentary movie it is.

The anti-Japanese propaganda movie “THE COVE” was filmed on the pretext of promoting anti-whaling (or animal protection) activities. The most despicable thing about “THE COVE” is that it presented the people hunting dolphins as wicked people. We know that there are so many people who engage in the slaughtering of farm animals all over the world. We humans can eat meals everyday thanks to the people who engage in the slaughtering of farm animals. Who are willing to slaughter animals around the world? We cannot eat unless they perform such essential and important work. Therefore, slaughterhouses are virtually as “untouchable” existences in human society. However, this movie producer secretly took videos of dolphin-hunting, and yet, emphasizes the cruelty of dolphin-killing using unnecessary optical effects intending to foment strong hatred against the people hunting dolphins. This is unforgivable human-rights abuse against Taiji-Cho’s people (Wakayama Japan) who engage in such important work. I hope earnestly that Taiji-Cho’s people will keep up the traditional coastal whaling for many years to come despite anti-whalers’ pressures.

Will you watch “THE COVE” while munching on McDonald’s burgers or KFC’s chicken?

P.S. – June 6, 2010

Three out of 26 theaters, which had scheduled to screen “THE COVE” in late of June, announced that they decided to cancel the screening of “THE COVE” on June 4th. They explained that their decision to cancel was due to the pressure of a certain civic group. However, foreign mass media changed the word “a certain civic group” into “a right-wing group” and reported this news to the world. Foreign mass media  which don’t want to recognize the existence of Japanese patriotis or nationalism among the ordinary Japanese, have a tendency to blame inconvenient news for them on right-wingers(Uyoku).

This news caused a heated controversy in Japan. Some people claim that “a certain civic group” violates the right to freedom of expression or the right to know in Japan, and the same thing as at the time of the movie “YASZUKUNI” in 2008 happened again. Some people say that this event shows how narrow-minded and closed the Japanese society is. I would like to counter the above argument as follows,

“THE COVE” is a kind of terrorism against the Japanese people. “THE COVE” is the anti-whaling propaganda movie which attemps to inject the deadly poison into the Japanese society. This propaganda movie is supported by Sea Shepherd which is notorious for eco-terrorist group. Sea Shepherd has repeatedly conducted terrorist attacks against Japanese research whaling vessels in the Antarctic Ocean. We should never yield to terrorism as a slogan that we have been chanting for the past 9 years since September 11th, 2001. We Japanese have to protect Japan’s national security and the Japanese people’s right to exist from Sea Shepherd’s terrorist attack.

TAMAGAWABOAT oyaji011.gif

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WHAT’S THE PURPOSE OF ANTI-WHALING?
シーシェパード制作の「ザ・コーヴ」に表現の自由を認めない
映画「ザ・コーヴ」の上映はすべて中止すべきだ
卑劣なプロパガンダ映画「ザ・コーヴ」

Town of Sun, the Black Tide and Whales (2009)

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